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【東近江】 東近江行政組合(今崎町)は、消防職員初級の採用試験の申し込みを受け付けている。 対象者は、1993年4月2日から2002年4月1日までに生まれた人。1次試験は来年1月19日、2次試験は2月3日で、開始時間はいずれも午前9時から。採用試験の案内、試験申込書は、東近江行政組合総括管理並びに管内消防署、各出張所で
1787年になると、モーツァルトの周辺に大きな変化が二つ起こった。一つ目は、『フィガロの結婚』の人気がウィーンからプラハへと飛び火し、当地で熱い歓迎を受けることになったことである。それは、さらにプラハで『ドン・ジョヴァンニ』の作曲を委嘱されるという、願ってもないチャンスを生み出すことになった。まさに、モーツァルトのオペ
蒲生西小学校体育館を拠点に活動する蒲生バレースポーツ少年団はこのほど、県小学生バレーボール秋季大会県中央大会で、女子が優勝、男子が準優勝を果たし、22日に和歌山県で開催される第40回記念近畿小学生バレーボール選手権大会(近畿バレーボール連盟、近畿小学生バレーボール連盟などの主催)に出場します。大会には、近畿2府4県から
1786年になると、モーツァルトの音楽活動に変化の兆しが現れ始めた。それまでは、演奏会を自前で開催し、もっぱらピアノ協奏曲を中心としたピアノ曲の作曲とその演奏による興行収入で大きな収入を得てきたが、予約演奏の集客数が徐々に減り始め、また自分自身も演奏会に明け暮れる生活に飽きがきたのか、はたまた、ピアノの弾き過ぎによる指
【全県】 5月7日~7月25日、県庁県政史料室で企画展「皇室と滋賀県」が催された。同企画展では、新しい天皇が位に就く「践祚(せんそ)」から広く内外に向けて即位を宣明する「即位礼」を経て、即位後初の収穫を祝う「大嘗祭(だいじょうさい)」までの一連の皇室行事「大礼」の際の滋賀県の対応や天皇による「行幸」、皇太子による「行啓
【東近江】 国民統合の象徴である天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿(せいでん)の儀」が執り行われた22日、全国で即位を祝う行事が催され、奉祝ムードが広がった。 各地の神社でも、即位を祝う「即位礼当日祭」が行われた。東近江市小脇町の太郎坊宮・阿賀神社では、前日から降り続いた雨が朝になってやみ、即位礼当日祭を行う頃には、
【東近江】 22日に行われた天皇陛下の即位に伴う儀式「即位礼正殿の儀」では、厳かな儀式や即位の宣言のほか、天皇皇后両陛下が召す束帯衣装にも注目が集まった。五個荘近江商人屋敷の中江準五郎邸(東近江市五個荘金堂町)では、天皇陛下が着用した「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」など、即位礼正殿の儀をイメージして製作されたひな人
【東近江】 元号「令和」の引用もとになり、約1200年前に編まれた日本最古の和歌集「万葉集」。その中で額田王と大海人皇子が詠んだ有名な相聞歌の舞台、また、奈良時代を代表する万葉歌人・山部赤人が余生を過ごした場所が蒲生野とされ、そこに位置する東近江市には、万葉文化を伝える歌碑や記念碑など、国の重要文化財も含め数基建立する
【近江八幡】近江八幡市北津田町の奥島山自然休養林に自生する「むべ」がこのほど、市役所で行器(ほかい=儀礼の際に食べ物を運搬する木製の器=)に納められ「天皇即位の礼」を前に皇室に献上された。 同町には、天智天皇(626~671年)が蒲生野を遊猟された時、同地に立ち寄られ、8人の男子を持つ長寿の老夫婦に出会い「汝等(なんじ
熱戦の感動を存分に与えてくれた第101回全国高等学校野球選手権大会は、全国3730校の頂点に履正社高校(大阪)が輝き、22日に閉幕しました。滋賀代表の近江高校も優勝候補の東海大相模高校を相手に健闘しましたが、予想外の失策が重なり残念な結果に終わりました。 そのような大会を滋賀大会から振り返ってみますと、やはり今年も私立
愛知川の左岸、右岸には、古来から農業用水を得るため数多くの水路が造られ、今もいくつかの取水口である「井口(ゆぐち)」は水を満々とたたえています。 その一つが、神田町で管理している「吉田井(よしだゆ)」です。鈴鹿山脈の雪解け水が伏流水として湧いて出ているそうで、今でも一年中水が途絶えたことはありません。 当町の駒寺組に昔
今年も胸躍る熱い季節がやって参りました。大会も1世紀を終え、2世紀を迎えた今年は全国から3731チームが参加し、頂点を目指して熱戦が始まります。残念ながら少子化の問題もあって、昨年より50校少ない出場校数となりました。 滋賀県予選の出場校も昨年の50校が49校と1校減少となりました。県大会の歴史を見ますと、大正4年の第
今年3月頃に、東近江市教育委員会から当町の自治会長宛に「自治会館の前にそびえ立つ『太鼓櫓』の調査を県と共にさせてほしい」との要望がありました。自治会としては快く受け現在も調査中です。 市教委の担当の方にお話を聞くと、現存する太鼓櫓は6基で、特に「御園地区」に集中して建設されているとのことでした。現存する6基とは、「和南
集落の中の坂道を登ると、杉の老木に囲まれた大皇器地祖神社(おおきみきじそじんしゃ)が鎮座する。古くは大皇大明神(おおきみだいみょうじん)と称し、明治維新後に「大皇神社」と改称した。しかし、明治十五年十月、滋賀県知事宛てに「社名改称願書」を提出する。つぎのような内容である 「本社ノ名称大皇神社ト言フヲ以テ、世人ヤヤモスレ
現在、蛭谷集落のなかほどに鎮座する筒井神社は、もとは筒井峠にあって筒井八幡宮と称えた。『近江愛智郡志』には、かつて筒井八幡宮周辺にあった人家がなくなり「祭事に不便なるにより明治初年、現在の地(蛭谷集落)に移転す」と記している。「神社周辺の人家」とは、あるいは木地師集落の跡地とも伝えられる「筒井千軒」のことであろうか。現
江戸期に編纂された『近江輿地志略』には、近江の主な峠として四十六箇所を紹介している。その一つに仰木(おおぎ)峠がある。滋賀郡仰木庄(現・大津市仰木町)と山城国愛宕郡(おたぎぐん)大原(現・京都市左京区大原)を結ぶ。 大原上野町には、宮内庁の定めた惟喬親王墓所があり、仰木峠を越えた大津市仰木町には小椋神社が鎮座する。小椋
【白山神社】多賀町 大君ヶ畑(おじがはた・多賀町)は、鈴鹿最高峰・御池岳(一二四二)をはさみ、君ヶ畑(東近江市)の北に位置する。 最盛期は七〇余戸が林業や茶園栽培を生業としていたが近年は半数余が転出した。 大君ヶ畑集落のなかほどにある橋を渡ると、杉木立に囲まれた白山神社がある。御祭神は伊弉諾神(いざなぎのかみ)・白山権
【世神社】日野町松尾 日野町松尾・井林神社の境内に、惟喬親王をお祀りする世(せ)神社がある。 井林神社は瓊々杵尊(ににぎのみこと)をご祭神とし、麓の広場から約四十段で拝殿、さらに二十段あまり上がると本殿の前に立つことができる。 世神社は、その井林神社への石段前広場一隅にひっそりと鎮座しておられるので気付かない人のほう
藤原氏の追跡を遁れた親王は、駒返しの峠から笹路(そそろ=甲賀市土山町笹路)に入られたという伝説がある(『角川日本地名大辞典』)。 「自分を匿ってほしい」との親王に、「あいにく年の暮れで、忙しくしています」と村人。親王は己の身分を明かされ、「今後この村では、正月の門松を建てなくてよい」とおっしゃった。驚いた村人たちは正月
今回から、甲賀市土山町南土山と鮎河町、さらに日野町にのこる親王伝説を紹介したい。鈴鹿山麓沿いに北上する親王伝説ルートである。 甲賀市土山町南土山に、かつて「五瀬(ごせ)」という二十戸あまりの集落があった。野洲川と田村川の合流部付近で、往古は「御所村」とよんでいたが、畏れ多いとしてのちに「五瀬」に改められた。明治二十年こ