多賀町・白山神社と長浜市・大皇神社
【白山神社】多賀町
大君ヶ畑(おじがはた・多賀町)は、鈴鹿最高峰・御池岳(一二四二)をはさみ、君ヶ畑(東近江市)の北に位置する。
最盛期は七〇余戸が林業や茶園栽培を生業としていたが近年は半数余が転出した。
大君ヶ畑集落のなかほどにある橋を渡ると、杉木立に囲まれた白山神社がある。御祭神は伊弉諾神(いざなぎのかみ)・白山権現など四柱。境内左手には自然石に「惟喬親王行在伝承之地」と彫られた大きな碑が建っている。「行在(あんざい)伝承之地」とは、かつて親王の仮の宮が所在したという伝承地のこと。
江戸期に編纂された『淡海木間攫(おうみこまざらえ)』には、「当村をオヂガ畑と号するは、いにしえ惟喬親王ならびに御家臣在住のため、新たに出来たるところゆえ村号となりし由」と記されている。「大君ヶ畑由緒伝へ控」(編纂・江戸期)にも、もと「北畑」は親王の仮宮が所在したので大君ヶ畑に、「南畑」には親王の御実母ならびに奥方様の御座所があったので、君ヶ畑と呼ぶようになったとの伝承を記している。
白山神社には、親王御自作とつたえる高坏や木椀三個が伝えられている。親王には、菊川左近・藤川右近の両人がお仕えしていたとも伝えている。『滋賀県文化財調査報告書』(第一冊)には、君ヶ畑の台頭以前に、犬上川上流部で「杓子」を生産する木地師の活動があったのではないか、という趣旨の記述がある。
【大皇神社】長浜市新栄町
つぎに、長浜市新栄(にいさか)町「大皇(おおきみ)神社」について紹介したい。
新栄町は、長浜ICからクルマで十数分の田園地帯に位置する。かつては農耕のほかに、養蚕・製糸も盛んであった。大皇神社は集落の中心部にあり、御祭神は惟喬親王である。氏子十三戸により守られているが、半数が巨椋(おぐら)姓を名乗る。
『近江坂田郡志』には、つぎのように記されている。
「此の地には、惟喬親王の後裔と称する者あり。けだし、其の祖神として当社を祭祀せしものなるべし。」
県政史料室「大皇神社御由緒調査書」には、もっと詳しい記載があった。趣旨を要約する。
「かつて、巨椋四郎三郎・同次郎四郎の両家が愛智郡君ヶ畑から大皇神社の分社を奉じ移住してきた。同社は山王八王子大権現と称えた時期もあったが、明治十八年に元の大皇神社に改称した。」
大皇神社の氏子十三戸は、毎年正月に回り持ちで「おこない」を勤めている。そのとき座敷正面に、惟喬親王像の「お軸」を懸ける。上部に「大皇大明神」と大書され、下に衣冠束帯姿の惟喬親王像が描かれている。表情は微笑し和んだ雰囲気である。「巨椋両家の君ヶ畑からの移住」という背後には、どのような歴史が隠されているのであろうか。
中島 伸男
(野々宮神社宮司)






