仰木峠と小椋神社(大津市仰木町)の伝承
江戸期に編纂された『近江輿地志略』には、近江の主な峠として四十六箇所を紹介している。その一つに仰木(おおぎ)峠がある。滋賀郡仰木庄(現・大津市仰木町)と山城国愛宕郡(おたぎぐん)大原(現・京都市左京区大原)を結ぶ。
大原上野町には、宮内庁の定めた惟喬親王墓所があり、仰木峠を越えた大津市仰木町には小椋神社が鎮座する。小椋神社は仰木各部落の氏神五社(大宮神社・小椋神社・若宮神社など)を祀る。
同社参道の大きな案内板に「小椋神社は、天安二年(八五八)、文徳天皇皇子、惟喬親王により創祀された古社です」との説明がある。五社のうちの大宮明神が惟喬親王により勧請されたものである。翌貞観元年(八五九)には、源融(みなもとのとおる=平安初期の公卿・左大臣)が、仰木峠に近い龍之谷滝壺から闇おかみの(くらおかみの)神を遷座、小椋神社として祀った(『仰木村誌稿』)。
龍之谷滝壺の闇おかみの神は、天智天皇大津宮遷都のとき、随従していた仙人・伽太夫(かだゆう)が、丹生明神の分霊をこの地に遷したものである(『村誌稿』)。闇おかみの神は渓谷の水を司る神であり、龍之谷は仰木庄一帯を潤す天神川の水源となっている。
天智天皇遷都や伽太夫の近江入国、さらに惟喬親王による大宮明神鎮座、源融公による闇おかみの神遷座など、仰木の伝承は、峠越えで山城から近江へ入ってきたという印象がつよい。仰木庄には木地屋が営まれた形跡はなく、また、町内に小椋姓がない。小椋神社の親王信仰は、京都ルートによるものとも推測される。龍之谷の滝壺神社では、一昨年、遷座千三百五十年祭が斎行され、社殿一帯が整備された。
以上、滋賀県内に鎮座する「惟喬親王ゆかりの神社」を訪ねてきた。
次回以降は、蛭谷町・筒井神社と君ヶ畑町・大皇器地祖神社について紹介し、惟喬親王ゆかりの神社を訪ねる小さな旅を終えたいと思う。
【水上詣り】
かつて全国木地師たちは、惟喬親王こそ己の職業の祖神として敬い、一生に一度は根元の地であり故郷とも呼ぶべき蛭谷・筒井八幡宮(現・筒井神社)および君ヶ畑・大皇大明神(現・大皇器地祖神社=おおきみきじそじんしゃ)に詣でることを願った。江戸時代後期にはグループを組み小椋谷を訪ねる人たちも少なくなかった。「水上詣り」という。
嘉永三年(一八五〇)、南会津保城=ほじょう=(現・福島県南会津郡南会津町保城)の木地師たち十一人が一月九日に出発、二月二十五日に蛭谷に到着して筒井八幡宮を参拝、翌二十六日には君ヶ畑・大皇大明神に詣でた記録もある(『日本庶民生活史料集成』第二十巻に「道中記」が収録されている)。中島 伸男(野々宮神社宮司)






