親王が登られた一株松
今回から、甲賀市土山町南土山と鮎河町、さらに日野町にのこる親王伝説を紹介したい。鈴鹿山麓沿いに北上する親王伝説ルートである。
甲賀市土山町南土山に、かつて「五瀬(ごせ)」という二十戸あまりの集落があった。野洲川と田村川の合流部付近で、往古は「御所村」とよんでいたが、畏れ多いとしてのちに「五瀬」に改められた。明治二十年ころにも数戸があったが、昭和四十年代にすべて東海道・南土山に移住した。現在、南土山・白川神社境外社として神社のみが頂上台地の山林に鎮座している。五瀬一株松(ごせいっぽんまつ)神社である。『滋賀県神社誌』の表記は「五瀬一本松神社」であるが、山頂部の社殿には「五瀬一株松神社」の神額が懸かっている。同社境内に建つ「神社由緒記」の一部を紹介する。
「第五十六代清和天皇の御代、貞観元年(八五九)、惟喬親王が御所(後世、五瀬と改称)に潜幸された。しかし、追求の手は厳しく、困窮した親王は御神木の松の木に登られ一旦は身を隠されたが、この時不幸に犬に吠えられ追っ手に気付かれるところとなった。頑なに要請を拒まれた親王に追っ手は松の木を切ることによって捕らえたといわれる。」
以後の親王の運命は、「由緒」には記されていない。いらい、五瀬では犬を飼わないことになり、「切れ物」を持って石段を登ると「我が身が切られる」との信仰がのこっている。この時、伐り倒された一株松の樹皮の一部は御神体として箱に収められ、いまも白川神社に大切に祀られている。
廃村・五瀬から東北部に位置する甲賀市土山町笹路(そそろ)に、東海道を見下ろす「駒返し」という峠(廃道となっいる)がある。藤原氏の放った追っ手が、この辺りで惟喬親王の姿を見失ない駒を返したことから、峠の名がついたという。
なお、惟喬親王が潜幸されたと伝える五瀬の村民は、もともと樵夫を業としていたといい(「五瀬村の記」)、木地師の居住していた痕跡はない。
惟喬親王に追っ手が差し向けられたという伝承がのこるのは、昔から人々の往来が激しく、諸事件も多かったにちがいない東海道という基幹路線に近かったことが影響しているのではないだろうか。
中島 伸男
(野々宮神社宮司)






