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びわリハ大 発! 地域で育む心身の健康 びわこリハビリテーション専門職大学が開学して、丸6年が経とうとしています。徐々に認知度が高まり、地域貢献活動も活発化してきました。現在では、地域強化推進事業「まちリハ」や、環びわ湖大学・地域コンソーシ...
『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告モーツァルトの早すぎる死の原因(5) さらにモーツァルトの早すぎる死が、いかにしてもたらされたのか、彼の勤勉な精神活動についての言及がある。「彼の体の成長の遅れは、子供時代の精神的緊張とそ...
『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告モーツァルトの身体的特徴(4) では、ニッセンのモーツァルトの身体的特徴について書いた文章から見てみよう。「モーツァルトの顔の輪郭は、プロイセンのフリードリヒ二世やソクラテスの頭の形のよう...
有村治子議員の活躍に期待 今年も、有村治子参議院議員の活躍が一層期待される。彼女はいまや日本の政界の重鎮の一人となった。三十歳の若さで平成十三年の参議院選挙・比例代表(全国区)に挑戦し、見事初当選を成した。以来六年毎の通常選挙で連続当選を重...
びわリハ大 発! 言語聴覚士が忘れてはならないもの 言葉がうまく出ない、飲み込みがうまくいかない。そうした悩みを抱える人を支える専門職が言語聴覚士(ST)です。高齢化社会の現在、医療や福祉の現場において、その役割は年々重要性が増しています。...
『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告ニッセンの伝記が持つもうひとつの弱点(3) ニッセンはモーツァルトの大ファンであったが、それはあくまで音楽に関してであり、書簡に関しては、モーツァルトより、父レオポルトの方を評価していた。...
『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告ニッセンの有利な条件と基本方針の弱点(2) コンスタンツェの第二の夫となったニッセンには、モーツァルト直筆の手紙を自由自在に伝記資料として使用できるという、ほかの伝記作家には手も足も出せな...
フランスの哲学者アラン(エミール・シャルティエ、1868―1951)は幸福論の中で、「幸福は外から与えられるものではなく、自らの心の持ち方や行動によってつくり出される」と述べています。多くの人は、生活が順調になり、病気や悩みがなくなれば幸せになれると考えがちですが、アランはそうではないと強調しました。困難や苦しみを避け
伝記作家ニッセンの書いた『モーツァルト伝』という本は、モーツァルトの基礎資料を提供してくれているにもかかわらず、世間ではそれほど知られていないが、ニッセン本人がモーツァルトの妻コンスタンツェと、彼の死後、結婚し、彼女からモーツァルトの生の情報を得る機会を数多く持っていたという点で、注目に値する本である。 それにしても、
ある出来事をきっかけに、仲睦まじかった二人のお間に亀裂が入り、その亀裂が徐々に大きくなって、関係が完全に切れてしまう、これは人間関係が破綻するときのお決まりのコースです。出来事そのものは、ほんの些細な事なのですが、それがお互いの疑心を生み、疑心が不信に発展し、不信が裏切りの感情に直結し、愛が反転、憎しみへと転ずる。おそ
2025年4月、私は保健師・看護師を育成する大学を経てびわこリハビリテーション専門職大学理学療法学科に着任しました。専門分野は公衆衛生看護学です。 公衆衛生とは「共同社会の組織的な努力を通じて、疾病を予防し、寿命を延伸し、身体的・精神的健康と能率の増進を図る科学であり、技術である」と定義されています(Winslow,C
「最愛のお父さん、僕はいま、つべこべ言わないで父さんのところへ(でも、ザルツブルクへ、ではありません)行ってしまうことが楽しみだと断言します。なぜならいま、先日の手紙で父さんが僕のことを、これまでよりはよくわかってくれていることを確信したからです。」モーツァルトはとうとう観念し、ザルツブルクへの帰還を表明した。それでも
ザルツブルク帰還の厳命を受けたモーツァルトは、最後の経由地であるミュンヘンに到着し、往路マンハイムで劇的な出会いをしたアロイジアを訪ねた。そしてモーツァルトにしてみれば、まったく意外なことであったが、アロイジアから見事な肘鉄を食らったのである。扉を開けて夢のような再会を期待していたモーツァルトに、アロイジアは相手が誰で
私は再生医療の研究を専門とし、教育では藍野大学を含め基礎科目15科目を担当しています。また、プライベートでは、長男(現高校一年生)と一緒に6年前に空手(琉球少林流空手道 月心会)を始め、今は師範代として空手道の指導に携わっています。今回は、大学の専門の視点からでなく、空手道での指導経験を通じ、これからの大学教育について
父親にザルツブルクへの帰還を迫られたモーツァルトは、大いに思い悩んだ。パリという町は嫌いだったが、故郷ザルツブルクは、それに倍するくらい嫌いだったからだ。それでもこのままパリに滞在しても確実な見通しがないうえ、パリで後見人的役割を担ってくれていたグリム男爵が、モーツァルトのパリでの就職を不可能であると見限ったとなれば、
妻の死を受けてレオポルトは、絶望的な心境を息子に次のような文面で伝えた。「お前たち二人が旅立つ際に耐え忍んだことは、父さんの人生のこれまでの一切の悲しみを上回るものだった。おまけにさらに愕然とさせられた極めつけは、身体が不調で病身でありながらも荷造りと荷の積み込みに気を配り、心配と心痛で気が遠くなりながらも、絶えず階下
「自分らしい人生を送りたい」と思っていても、それを実現するのは簡単ではありません。年齢や健康状態、環境の変化によって、これまで当たり前にできていたことが難しくなることもあります。作業療法は、そうした状況に寄り添い、一人ひとりが自分らしく生きるための支援を行う仕事です。 作業療法の一環として、「フレイル予防」など、病気を
モーツァルトの母親の死をレオポルトに伝える役を引き受けたブリンガー神父は、レオポルトに会うために射的会に行ったが、レオポルトはその場面を次のように手紙にしたためた。「父さんはひとことも語らずに彼に手紙を読ませると、彼は見事に素知らぬ顔で、これをどう思うかと父さんに尋ねてきた。父さんは、私の愛する妻はもう死んでいると確信
1778年7月3日、モーツァルトは父親宛てに「僕はきょう、父さんにとてもよくない悲しいお知らせをしなければならないのです」という不安な書き出しの手紙を送った。母親が病で伏せて、かなり深刻な状況だという。手紙の中で、病状の進行を簡単にまとめ、その中で、自分の気持ちが、「もう長い間昼も夜も不安と希望の狭間で揺れているんだ」
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などのリハビリテーション専門職は、医療機関や介護施設において、怪我や病気を負った方々に対してリハビリテーションを行う職種であると認知されつつあります。一方で近年は、「怪我や病気をどうしたら予防できるか」という観点から地域社会で活動する機会も急激に増えています。私個人としても理学療法士養