『芸術家としてのモーツァルト』伝記作家ニッセンの報告
ニッセンの伝記が持つもうひとつの弱点(3)
ニッセンはモーツァルトの大ファンであったが、それはあくまで音楽に関してであり、書簡に関しては、モーツァルトより、父レオポルトの方を評価していた。彼はレオポルトの手紙は、どれをとっても賞賛に値し、その書ぶりは昔ながらの古いスタイルであるとはいえ、その内容は旅行先の天気や地勢の情報、町の描写、そこで暮らす人々の様子など、いずれも学識と機知に富み、味読に堪えるという。それに反し、モーツァルトの手紙は、1777年から1784年にいたる7年(モーツァルト21歳から28歳)を除き、そのほとんどが下品な冗談で覆われており、伝記の資料として採用されるだけの値打ちはないと考える。
執筆の開始は、正確な年はわからないが、本格的に書き始めたのは1823年ごろ、モーツァルトの死後32年を経過した時期だと考えられている。だが、運命の神様は残酷で、ニッセンに伝記を完成させるだけの十分な時間を与えなかった。彼は、執筆途中の1826年に、病でこの世を去ってしまうのである。そして伝記は、ニッセンの意志を引き継いだフォイヤーシュタインという医師が、序文を書き上げたうえ、1828年にようやく出版に漕ぎつけた。しかし、このフォイヤーシュタインという医者が、なかなかのくせ者だった。この人は、その後しばらくして精神を病むことになり、≪モーツァルト伝≫を出したあとは、ニッセンの妻、コンスタンツェや出版社ともさまざまなトラブルを起こしたという。また、この人がニッセンの伝記にどれほど関わったのか、明確にはなっていないという点も大きな問題で、伝記の正統性に疑問を投げかけることになるのである。このように、ニッセンの≪モーツァルト伝≫には、ニッセン本人が最後まで著作の責任を全うできなかったという未完成感が、どうしても残る。これが、後世の評価を下げる原因の一つとなってしまうのだ。
では、ニッセンの伝記は読むに値しないのか。いや、以上のような伝記の執筆にまつわるいくつかの弱点があるにもかかわらず、最終章の「芸術家としてのモーツァルト」は、実際にモーツァルトと交際した人たちの証言がもとになっているためか、天才音楽家に関する生々しいエピソードが開示されており、大変魅力的な一章になっているのである。
モーツァルト・バー「キール」
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