『モーツァルト 父の夢、子の夢』(10)痛恨、母親の死
1778年7月3日、モーツァルトは父親宛てに「僕はきょう、父さんにとてもよくない悲しいお知らせをしなければならないのです」という不安な書き出しの手紙を送った。母親が病で伏せて、かなり深刻な状況だという。手紙の中で、病状の進行を簡単にまとめ、その中で、自分の気持ちが、「もう長い間昼も夜も不安と希望の狭間で揺れているんだ」と打ち明けて、父親にも最悪の事態が遠からず来るかもしれないこと、そのための覚悟がお父さんにも必要であることを、次のような言葉で知らせた。「どんな結果になっても、僕は安心しています、というのは、僕にはわかっているからです。すべてのことを(僕らにはどんなにゆがんで奇妙に見えても)僕らのために配剤してくださっている神様が、そう思し召しだってことが。なぜならば、僕は(説得されても、この思いは捨てません)、医者も、どんな人間も、どんな不運も、どんな偶然も、ひとりの人間を生かしたり命を奪ったりすることはできない。そうではなくて神様だけがそうできるのだって信じているからです。」父親にはこのあと、「すべての希望がなくなった」わけではないと言葉を添えたが、実はこの手紙を書いた時、母親はすでに亡くなっていた。この手紙は何と、母親の亡骸を前にして、モーツァルトが書いたものなのである。この深刻な事態をいきなり伝え父親にショックを与えることを何より恐れ、一時的に引き延ばして折をみてやんわりと話をしようとするのは、いかにもモーツァルトらしい。「お前は何をしておったのだ!」とその不注意をやり玉にあげる父親の怒気に満ちた表情が、その時モーツァルトには見えたのだろう。父親に直接会って母の死を切り出すことのできない彼は、友人にその役目を頼んだ。同日の夜、故郷にいる友人ブリンガー氏に宛てて、次のように書いた。「わが友よ、僕と一緒に悲しんでください!わが人生で、いちばん悲しい日でした。僕は夜の2時にこれを書いています。あなたにはやはり言わなければならないのだけれど、僕の母、僕の愛する母はもういません。」苦しい自分の心情を縷々述べたあと、「最高の友よ、僕のために、父さんを見守ってください。最悪のことをとうとう耳にすることになっても、あまり重大に深刻にとりすぎないように勇気づけてあげてください」とお願いした。事態は重大で深刻なのである。だがモーツァルトのこの父親への配慮は、親を思う優しさから発せられたものなのだろうか。
モーツァルト・バー「キール」
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