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――1774年の冬にミュンヘンに行かれてますが、目的は何だったのですか。 レオポルト ミュンヘンの選帝侯、マクシミーリアン・ヨーゼフ三世さまから、有難いことにオペラの注文を受けまして、夏ごろから作曲に取りかかり、仕上げと上演のためにミュンヘンに参りました。仲介をしてくださったのは、キームゼーの大司教のツァイル伯爵さまで
私が養護教諭(保健室の先生)の仕事を知ったのは小学校低学年の頃です。当時、お世話になった養護教諭が、白衣を着て髪の毛を一つに束ね、学校の中を颯爽(さっそう)と歩かれている姿に勇ましさと頼りがいを感じたことを思い出します。今から考えると、まさに「学校の中で子どもたちの健康を守る専門職教員」そのものであったと考えます。その
――イタリア旅行のあと、3度目のウィーン旅行もされていますが、成果はあったのですか。 レオポルト 前回のインタビューの終わりに、マリア・テレージアさまの我々一家に対する見方をご紹介しましたが、私どもが前もって「乞食のように世間を渡り歩く連中」と思われていることを知っていれば、もちろん、旅はしませんでした。事実、宮廷で女
健康寿命を伸ばすためには、体力の維持増進が重要な要因であることはよく知られています。近年、体力に関係するキーワードとしてフレイルやロコモ、サルコペニアがあり、これらの発症予防が介護予防につながると言われています。本学では2020年から、介護予防を念頭に健康維持を目的にした「びわこいきいき体操教室」を開催し、地域の老人会
――イタリアには都合3回行かれていますが、2回目、3回目はどんな様子だったのですか。 レオポルト いずれも、オペラのオファーをいただいて、それを完成させるために、ミラノに行きました。2回目は、マリア・テレージアさまのご子息のフェルディナント大公の婚儀のための祝典劇で、女帝からの正式の申し込みでした。そして3回目は、1回
コロナ禍にあって、まる2年が過ぎようとしています。2019年の暮れまでは、誰もこうなるとは思っていなかった世界的なパンデミックです。「ポストコロナ」という表現もしばし使われた時期もありましたが、これからは「with コロナ」の時代に突入した、といった表現の方が正確でしょう。 一方、この3月は、東日本大震災からまる11年
2021年4月に着任致しましたが、心のなかで「ただいま、帰りました。」と故郷に帰ってきた心持でした。高校2年生の夏に旧びわこ学園でボランティアをし、作業療法士を志すことになりました。あれから48年の間、重度障害児・者から離れることなく、作業療法士としての実践と作業療法学の研究を続けさせてくれたエネルギーの源がこの「びわ
――1769年12月からイタリアへ旅に出られますが、そのねらいは何だったんですか。 レオポルト 「機が熟した」というのが、一番いい表現かもしれません。息子は14歳に近づいていました。少年から青年への脱皮の時期です。自分が表現したいものは何なのか、それを確かめるにはイタリアという地ほどうってつけの場所はありません。そこは
私たちが普段行っている生活…献立を考え買い物に出かけ、食事の準備をする、立ったりしゃがんだりしながら洗濯物を干す、化粧をする、掃除をする、赤ちゃんの世話をする、畑で野菜を作る、仕事をするなど…を行うには歩く・立つ・座るなどの基本的動作能力をベースに認知機能、手や身体全体を使ったあらゆる能力を発揮しなければなりません。心
――オペラの妨害に対して、皇帝に直接、訴状を渡されたと聞いていますが、本当ですか。 レオポルト ええ、その通りです。私としては、お話を頂いた皇帝陛下におすがりして、問題解決するしかないと判断したのです。何しろ、息子の名声と将来のためにも、ここは黙っているわけにはいかないと思ったからです。事態の推移をご説明し、愚息に対す
11月は厚生労働省が定める児童虐待防止推進月間で、児童虐待防止のシンボルマークのオレンジリボンを目にされた方も多いのではないだろうか。教育福祉学部子ども学科榎本ゼミでは、このオレンジリボン運動に取り組んで3年目になる。オレンジリボンを印刷したオリジナルエコバッグに、子どもの足形を押すイベント活動などが評価され、2年連続
――二度目のウィーン旅行はずいぶん苦労されたようですね。 レオポルト さんざんな旅でした。マリア・テレージアさまの皇女のご結婚は、皇女さまご自身が、当時ウィーンで流行していた天然痘の犠牲になり、祝賀行事は一転、暗い葬儀となってしまったのです。宮廷での演奏会はもちろん、その他お声をかけて頂いた演奏会は、すべてキャンセル。
この夏、東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。たくさんのアスリートの活躍に、日本中が感動の渦に巻き込まれました。オリンピック選手の活躍は、選手個人の努力の賜物です。しかし、大会当日に心身を最高の状態にするためには、毎日の身体のケアが欠かせません。理学療法士は、選手村や各競技会場で、アスリートへのけがの対応や
――ザルツブルクにはいつ到着されたんですか。 レオポルト 1766年の11月の末です。最後の大都市ミュンヘンでヴォルフガングが急性のリューマチ性関節炎に苦しんだ以外は、大きなトラブルなく、帰還できました。とにかく、長い旅でしたから、これからザルツブルクでどういう生活をすればいいのか、帰途はそればかり考えていました。息子
オリンピックの余韻が冷めやらぬ8月24日から始まったパラリンピック。競泳の山田美幸選手(14)の泳ぎは、強烈でした。上肢がなく下肢も短い身体で懸命に泳いでいる映像を見てだんだん胸が熱くなってきました。アスリートの姿から元気を貰うということはこういうことかと改めて思いました。また、アスリートたちが競技に臨んで「楽しみたい
――イギリスを発たれてから、フランスのリル経由でオランダに入られていますが、故郷に送る手紙が極端に少なくなっています。何か原因はあったのですか。 レオポルト 病気のせいです。ドーヴァー海峡を渡っての旅は快適で、このままスムーズにオランダに入れると期待したのですが、フランスのリルでヴォルフガングがひどいカタルに罹(かか)
びわこリハビリテーション専門職大学が開学して1年半が経ちます。昨年の4月、希望に燃える1期生を迎え新しい第1歩を踏み出し、何もかもが初めての初年度を終え、この4月には2期生を迎えることができました。大学は学生の活気に満ちております。 リハビリテーションの中心的な領域である理学療法・作業療法が専門職大学に組み入れられたこ
――初めてのイギリス滞在は、いかがでしたか。 レオポルト 私の中では、イギリスは「たえず暑気と寒気が交替していて危険な国」でしたので、宮廷伺候という公式の行事以外では、なるだけ、健康に留意して、万が一にも病気にはなるまいと緊張して過ごしていたのですが、到着から3カ月たった7月、案の定、体調を崩してしまいました。その日は
茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王 紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子 高校生の時にこの句に出会い、わずか三十一文字に凝縮された熱い思いに魅せられ、古典の先生の影響もあって、大学では日本文学を専攻しました。その後、大学院で教育学を学び、数年前にこの句が詠まれた東近江の地に
――ミュンヘンから生まれ故郷のアウグスブルクに行かれていますが、どんな意図がおありになったんですか。 レオポルト ええ、たった二週間でしたが、当地のクラヴィーア製造家のシュタインさんから、旅行用の楽器を買う必要がありました。何しろ息子の練習には欠かせませんからね。それと、私がヴァイオリン教程の本を出版する時に世話になっ