「ステージパパ、レオポルトの本音」 イタリア旅行の目的と成果(17)
――1769年12月からイタリアへ旅に出られますが、そのねらいは何だったんですか。
レオポルト 「機が熟した」というのが、一番いい表現かもしれません。息子は14歳に近づいていました。少年から青年への脱皮の時期です。自分が表現したいものは何なのか、それを確かめるにはイタリアという地ほどうってつけの場所はありません。そこは何といっても音楽の都。オペラが爛漫と咲く花のように、煌(きら)びやかにあちこちの劇場で上演されています。イタリアでオペラを書くチャンスが得られたら、ヴォルフガングの名声にさらに大きな輝きが追加されることになる。大楽長になるためのキャリアの蓄積です。実際のところ、音楽家は一度はイタリア詣をしないと、本物になりません!
――ということは、成果が大いにあったわけですね。
レオポルト これまでいろんな旅をしましたが、イタリア旅行ほど、私にも、またヴォルフガングにとっても、楽しい旅は一度もありませんでした。また旅の成果という点でも、この旅は1番でした。最大の成果は、何といっても、ミラノでオペラを書くチャンスを与えられ、当地で上演まで漕ぎつけることができ、オペラの本場で、少年オペラ作曲家として認められたことです。
――『ポントの王ミトリダーテ』ですか。
レオポルト そうです。そして、さらに名声を高めることになったのは、教皇クレメンス14世から《黄金の軍騎士勲章》を授与されたことです。息子の音楽的才能に対して、本場イタリアで公的お墨付きをもらえたのですから、もう言葉にならない喜びでした。
――さらにボローニャでは、当地のアカーデミアの会員になられたと聞いていますが。
レオポルト 年齢制限が20歳以上と規約には決められているんですが、試験を受けて簡単に合格してしまったんです。規約の例外として認められたんです。
――凄いですね。それにしても、初めてのイタリア旅行で、教皇から騎士に任じてもらったり、ボローニャで難しい試験を受けたりできる機会をどうやって手に入れたんですか。
レオポルト 人脈に尽きます。教皇からの推挙については、フィルミアーン伯爵さまが大いに動いてくださいました。この方は、前ザルツブルク大司教フィルミアーン伯の甥っ子さんなんです。芸術に対する理解があり、この方の助けなしでは、教皇にお会いすることなど夢物語に終わったでしょう。また、アカーデミア会員に関しては、尊敬申し上げるマルティーニ師が、お膳立てくださり、じきじきに息子に対位法のレッスンまでしてくださいました。本当に、このお二人にはお礼のしようもありません。
――次回は、具体的な旅のルートを教えていただけますか。よろしくお願いいたします。
モーツァルト・バー「キール」
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