「ステージパパ、レオポルトの本音」 イタリア旅行で得たもの、失ったもの(19)
――イタリアには都合3回行かれていますが、2回目、3回目はどんな様子だったのですか。
レオポルト いずれも、オペラのオファーをいただいて、それを完成させるために、ミラノに行きました。2回目は、マリア・テレージアさまのご子息のフェルディナント大公の婚儀のための祝典劇で、女帝からの正式の申し込みでした。そして3回目は、1回目の旅行の時に予約していただいた『ルーチョ・シッラ』を上演するためです。親の欲目かもしれませんが、息子の作品は、特に2回目の祝典劇では、著名な作曲家ハッセと競い合うことになり、見事、大家の作品をも凌ぐものができたと評価しています。
――では、3回のイタリア旅行は、いいことばかりだったのですね。
レオポルト いや、そうとも言えないんですね。旅行で得た成果という観点だけで見れば、3回とも、確かに大成功でしたが。
――ということは、それ以外の点では、何か問題もあったのですか。
レオポルト そうなんです。実は、ある程度予想はしていたものの、老齢のザルツブルク大司教のシュラッテンバッハさまが、我々が2回目のイタリア旅行から帰郷した翌日に、お亡くなりになったのです。この大司教さまは、我々の長期に渡る家族の旅行にも、快く許可を与えてくださり、また私を副楽長にまで取り立てて下さったりして、まさに恩人でした。これには愕然としました。先の見通しがまったく立たなくなったある種の絶望感にとらわれたわけです。そして、その不安はやはり的中しました。次に跡を継いで大司教になったのが、あのコロレード伯爵だったわけです。
――なるほど、節約家のコロレード伯爵では気軽に旅行も行けなくなるわけですね。
レオポルト はい。特に長旅はできないだろうと諦めました。それは息子の就職先を探すのも困難になることを意味していました。でも、それはまだましな方で、私の夢を砕くような衝撃的な事態が、私の関知しないところで動いていました。これはあくまで後で知ったことで、当時はまったく承知していませんでした。
――何ですか、それは。
レオポルト 実は、第2回のオペラ公演が終わった後、先に申し上げたフェルディナント大公さまが息子を正式に宮廷に向かえてはどうかと考え、母上のマリア・テレージアさまに、ヴォルフガングの採用の打診をしたのです。ところが、祝典劇のオファーをして下さった女帝自ら、大公にあてて、次のような趣旨の手紙を送ったそうなのです。「ザルツブルク人を雇いたいとう考え、私には理解できないし、あなたが作曲家とか無用の人を必要としているとは思えない。あえて邪魔立てする気はないけど、経済的負担を考えてみなさい。乞食のように世間を渡り歩く連中を雇うと奉公人の品性が悪くなる。しかも彼は大家族ですよ!」私が事前にこの手紙の内容を知っていたら、その後の息子の就職作戦も変わったはずです。女帝様を恨んでも恨み切れません!
モーツァルト・バー「キール」
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