「ステージパパ、レオポルトの本音」 オランダでの試練(13)
――イギリスを発たれてから、フランスのリル経由でオランダに入られていますが、故郷に送る手紙が極端に少なくなっています。何か原因はあったのですか。
レオポルト 病気のせいです。ドーヴァー海峡を渡っての旅は快適で、このままスムーズにオランダに入れると期待したのですが、フランスのリルでヴォルフガングがひどいカタルに罹(かか)り、それが私にうつり、仕方なくひと月ほど、足止めを食らいました。ひと月後の9月4日、ようやくリルを離れ、デン・ハークに到着したのが、10日でしたが、ここでまた、今度は、ナンネルがひどいチフスに罹り、今度は病状がいっきに悪化し、担当してくれていた医者も、「もうなすすべなし」と諦めました。私たち一家も覚悟を決め、臨終の秘跡もお願いして、やるべきことをやって娘を見送ろうと、夫婦で懸命の看病をし、神様に祈りました。ああ、当時の切迫した状況を思い出すだけで、涙がこみ上げてきます。でも信じがたいことですが、何と、奇跡が起こったのです!おそらく今から思うと、姉の危篤を聞きつけて王室から遣されたオラニエン公妃の侍医の不眠不休の治療が効き目を発揮したに違いありません。これには、感謝しかありませんでした。
――それは大変でしたね。息子さんは大丈夫だったのですか。
レオポルト いや、試練はこれだけでは終わりませんでした。姉が奇跡の回復をして喜んでいた矢先、今度は、ヴォルフガングが罹患(りかん)しました。11月15日に発病した息子は、まるまる4週間寝込み、ものが食べられないものだから、どんどんやせ細り、柔らかな皮と小ちゃな骨骸だけになりました。「あーやっぱり、オランダに来るんじゃなかった」人生でこれほど自分の決断に後悔したことはありません。姉のような奇跡が起こればいいが、奇跡は二度起こるのだろうか?もはや、絶望しかない状況の中で、またもや、先述した侍医が来てくださり、二度目の奇跡が起こりました。意識のなかった息子に意識が戻り、少しずつ食欲も出て、何とか、生き延びてくれました。
――ではオランダでは音楽活動はされなかったのですか。
レオポルト いえ、それでは何のためにここに来たのか分かりません。年が明けてからは、各地で行われた演奏会で、姉弟は、それぞれ聴衆にピアノを聴かせ、息子は自作のシンフォニーを披露したりしました。また、ヴォルフガングは、ナッサウ=ヴァイルブルク侯妃のために依頼されたピアノ・ソナタ6曲を『作品4』として献呈しました。何と、結局オランダを離れられたのは、翌年の4月に入ってからになりました。まあ、旅の後半で、こんなに過酷な試練が待ち受けているとは、夢にも思いませんでした。一家は、ともかくも、「あとは無事、ザルツブルクへ帰りたい」、その一念でした。ただ、旅は、まだ終わったわけではありません。荷物を置いてきたパリにはどうしても寄らなければなりませんでした。再びベルサイユ宮殿を訪問しましたが、それが6月の初め。まあ、早いもので、ザルツブルクを出てからまるまる3年ですよ。こんな旅は、「今回限り、二度とあるまい」と思うと本当に感慨深いものがありました。
――じゃあ、次回はザルツブルク帰還のお話し、お願いしますね。
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






