「ステージパパ、レオポルトの本音」 旅の成果(16)
――オペラの妨害に対して、皇帝に直接、訴状を渡されたと聞いていますが、本当ですか。
レオポルト ええ、その通りです。私としては、お話を頂いた皇帝陛下におすがりして、問題解決するしかないと判断したのです。何しろ、息子の名声と将来のためにも、ここは黙っているわけにはいかないと思ったからです。事態の推移をご説明し、愚息に対する迫害が、いつ、どんな形で行われたかを、特に責任者のアフリジョとのやり取りを中心に、訴えました。何しろ、このオペラのために4カ月も、振り回されたのですからね。無駄な出費がびっくりするくらいかさみました。皇帝陛下は、さっそく演劇長官に処置をゆだねてくださいました。
――それでは、事態は動き出したのですね。
レオポルト いえ、結局、息子のオペラ『ラ・フィンタ・センプリチェ』は、お蔵入りになり、上演されませんでした。私としては、直接、皇帝陛下にお願いしても、事態が変化しないんだから、もう仕方ないと諦めました。これ以上、問題を大きくすると、宮廷関係者の反発を買うことは目に見えてましたからね。
――では、この2度目のウィーン旅行は、あまり成果がなかったのですか。
レオポルト いや、それがそうでもないんですよ。ウィーンで知り合ったお医者さまのメスマー博士が息子にドイツ語テキストでオペラを書いてくれないかと依頼してくださいまして。『バスティアンとバスティエンヌの恋』という1幕ものの小さなオペラです。このオペラの出だしには、あの有名なベートーヴェンの『英雄』シンフォニーの冒頭がちょっとだけ出てきます。興味があれば聴いてみてください。それと、この年(1768年)の12月に、ウィーンの孤児院で新しく建てられた建物の献堂式があり、その時捧げられるミサの作曲が息子に依頼されたのです。孤児院の院長先生と知り合いであった縁から出てきた話ですが、孤児院の運営には、女帝のマリア・テレージアさまにも大いにご尽力いただいていた関係で、マリア・テレージアさまだけでなく、皇族の方々もたくさんご参列いただきました。皇太后陛下からは、その後、素晴らしい贈り物を頂戴することもできました。今回の旅は、いろんなことが起こりましたが、最終的には息子の名誉も守られ、さらに名声も広がりました。有難いことです。
――翌年1月の初めには、ようやくザルツブルクへ戻られていますね。
レオポルト はい、1年4カ月ぶりの故郷です。ウィーンからの帰途、次のイタリアへの旅の構想を、実は、練っていたのですが、さすがに誰にも言えませんでした。それで、このあとほぼ1年はザルツブルクでおとなしく職務に励むことになります。
――いよいよイタリアですね。では次回からは、イタリア旅行の話をお願いします。
モーツァルト・バー「キール」
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