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1789年の春、モーツァルトは、再び旅に出る。名目はもちろん、家計の緊迫を打開するためであるが、この旅には、疑問点も多い。行き先は、プロシア。最終目的は、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世に面会し、何らかの大きなビジネスチャンスを得ること。しかも、この旅のために借金までして。結果は、御前演奏をして、王からは6曲の弦楽四重奏
今月、米ハーバード大学の専門家チームは、新型コロナウイルスについて「パンデミック終息後に流行を再発させないためには、2022年まで外出制限や自粛などの規制措置を断続的に続ける必要がある」と発表しました。2ヶ月前であれば正直聞き流していた話ですが、今では真剣に受け止めている自分がいます。 政治に携わる者として、「夏頃か遅
「ここに引っ越してから10日間に、前の家でやっていた2か月分以上の仕事をしました」1788年の6月に友人プフベルクに宛てた書簡の中で語ったモーツァルトの猛烈な仕事ぶりには、何か鬼気迫るものがあり、その時に、彼の最も有名な3つのシンフォニーのひとつ、K543変ホ長調の第39番も書かれた。そして、立て続けに7月25日には、
いったい何があったのだろうか、モーツァルトの生活に、亀裂が入り始めた。金回りが悪くなったのである。果たして、彼自身の音楽活動に何かこれまでとは異なる事情が生じたのであろうか。モーツァルトは『フィガロの結婚』の制作の頃から、ピアノ協奏曲を中心とした自前の演奏会から、オペラの作曲への傾斜を始めていたことは間違いない。集客が
1787年は、父親の死、ドン・ジョヴァンニの上演、ベートーヴェンとの束の間の邂逅(かいこう)など、モーツァルトにとっても、忘れがたい一年になったが、さらにその年の末には、ウィーン滞在6年目にして初めて、皇王室の宮廷作曲家という念願の公職に任命されるという、予期せぬ名誉を受けることになった。これは、前任者のグルックの死去
1787年の5月の父レオポルトの死は、モーツァルトの人生でも特筆すべき出来事ではあったが、この年はまた、彼とベートーヴェンがほんの束の間の出会いをした、後世から見ると誠に驚くべき「巨匠の二人の出会い」が実現した年でもあった。この事実は、オットー・ヤーンという伝記作家が、『モーツァルト伝』で伝えているもので、それによると
明けましておめでとうございます。 おかげさまで昨年7月の参議院議員選挙で国へと送って頂き、半年が過ぎようとしています。 この半年を振り返ってみると、選挙後に碧水会(へきすいかい)という会派を愛媛県選出で同じく無所属のながえ孝子議員と結成しました。会派を結成しなければ、制限される活動もあり滋賀県知事の経験を活かしながら、
新年おめでとうございます。お健やかに令和の初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。昨年は、参議院議員・小鑓隆史に対しまして格別のご支援、ご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 さて、本年は大東亜戦争終結後75年目の節目にあたります。戦後の復興期から高度成長期を経て経済大国として先進国の仲間入りを果たし、昭和、平成から令和の
明けましておめでとうございます。早いもので衆議院議員として三度目の新年を迎えました。おかげ様で東京と滋賀を行き来する生活にも慣れ、具体的な成果も徐々に形になり始めているところです。 専門の農業分野では滋賀県が取り組む環境保全型農業の制度維持や一昨年の農業被害への復旧対応、さらには農村整備事業の予算確保などに取り組みまし
住民の皆さんの生の声をお伺いしたいと思い、日野町中のお宅を訪問し課題をお聞きする活動をしています。歩きすぎて足にマメができましたが、多くの事をお教えいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。 お話を聞いて初めてわかる事があります。「実はこんな問題があってな」「まわりには言えなくて」「諦めていたけど、もう一度頼むわ」と、内容
1787年になると、モーツァルトの周辺に大きな変化が二つ起こった。一つ目は、『フィガロの結婚』の人気がウィーンからプラハへと飛び火し、当地で熱い歓迎を受けることになったことである。それは、さらにプラハで『ドン・ジョヴァンニ』の作曲を委嘱されるという、願ってもないチャンスを生み出すことになった。まさに、モーツァルトのオペ
1786年になると、モーツァルトの音楽活動に変化の兆しが現れ始めた。それまでは、演奏会を自前で開催し、もっぱらピアノ協奏曲を中心としたピアノ曲の作曲とその演奏による興行収入で大きな収入を得てきたが、予約演奏の集客数が徐々に減り始め、また自分自身も演奏会に明け暮れる生活に飽きがきたのか、はたまた、ピアノの弾き過ぎによる指
令和の年号が日本の歴史に刻まれて半年。その象徴としての儀式である即位の礼の挙行により、徳仁天皇が日本国の象徴としての地位に就かれたことが内外に宣言されました。ここに、東近江市民を代表して心からお祝いを申し上げますとともに、令和の時代が穏やかで笑顔あふれる日々であり続けられることを願うものです。 とは言うものの、令和の時
昨年、日野在住の田中宏明君、ポーランド人のショーンさん、イギリス人のトムさんの3人が、日野祭などの祭を盛り上げるため、会社を立ち上げクラフトビールの販売をスタートされました。数年前から、同級生でもある田中君から聞いていた夢・ヴィジョンが、こうして形となったことをとても嬉しく思います。 さて、地域を変えるのは「若者・よそ
明けましておめでとうございます。輝かしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。また昨年は私の議員活動に対してご理解とご指導をいただきありがとうございました。おかげさまで元気に活動しております。国会では常任委員会は内閣委員会と農林水産委員会に、特別委員会は地方創生と東日本大震災復興対策に所属しています。また党では国会対
今年度に入り相次いで発生した地震、竜巻、豪雨、炎暑…。自然災害が日本列島で猛威を振い、特に台風20、21号は関西に上陸し、滋賀県でも大きな被害をうけました。被災された皆様には、心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方に哀悼の意を表します。 さて今回、関西広域連合議会で「災害対応の強化」について何点か質問した中で、大戸川ダ
先日、TV番組「なんでも鑑定団」に、旧蒲生町出身の画家・野口謙蔵の絵が出品されました。評価額(三五〇万円)もさることながら、彼の描く蒲生野の田園風景が認められたようで、誇らしい気持ちになりました。 当たり前に思うこの田園風景ですが、維持は大変です。米価下落や担い手不足、獣害など多くの課題に直面しています。先日も農政連の
突如始まった解散・総選挙。小池旋風も鳴りを潜め、与党の勝利となりました。「政局」に失敗した小池都知事ですが、「政策」では参考となる点もあったように思います。特に彼女の掲げた「情報公開」という点は、地方議会ではとりわけ重要なテーマです。 なぜ「情報公開」なのか。行政・議会が常に公明正大であることは当然ですが、ここで強調し
四月二四日。私は「民進党公認候補」でありますが、多くの県民の皆様の野党共闘を求める声を受けて、社民・共産も加えた三党の野党統一候補となりました。責任の重さと決意を胸に刻み、身の引き締まる思いで、確認書に署名しました。その確認書には、以下三点が書かれています。「一、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させる」「二、安全保
「保育園落ちた、日本死ね」というブログが瞬く間に世の中の共感を呼び、待機児童解消を求める大きなムーブメントにつながっていきました。実はここ十年あまり、待機児童問題はずっと政治課題として永田町でも議論されてきました。私自身も待機児童の問題は、子どもの保育・教育の権利が奪われていることに他ならず、しっかりと解消すべきという