関西人になったモーツァルト 名誉と信用を失ってしまいます(47)
いったい何があったのだろうか、モーツァルトの生活に、亀裂が入り始めた。金回りが悪くなったのである。果たして、彼自身の音楽活動に何かこれまでとは異なる事情が生じたのであろうか。モーツァルトは『フィガロの結婚』の制作の頃から、ピアノ協奏曲を中心とした自前の演奏会から、オペラの作曲への傾斜を始めていたことは間違いない。集客が思うに任せないということが、その裏にあるのだが、その原因として、トルコとの戦役という社会的事情が、貴族の間に、文化への投資に消極的になるという負の作用を引き起したことも疑いえない。それにしても、モーツァルトの次のような借金を要請する手紙は、何と我々を驚かすことだろうか。「プフベルクさん、もしプフベルクさんが僕の窮状を助けてくださらないなら、僕は、自分が大事にしたいと思っているたった一つのもの、名誉と信用をなくしてしまいます。でも僕は、プフベルクさんの心からの友情と兄弟愛を頼りにしているので、アドバイスや実際の行動で援助していただけると、ほんと、信じています。お助けいただけると、何とかこの窮状を乗り切ることができるので、青息吐息ながらやっていけると思います。機会があれば、家に遊びに来てください。僕はいつも家にいます。ここに引っ越してから10日間に、前の家でやっていた2か月分以上の仕事をしました。もし、頭を巡る暗い想念がこんなに頻繁にやって来なければ、(なにせ、無理矢理にでも、こいつを追っ払わなきゃいけないので)もっと仕事がはかどること間違いなしなんですが」。1788年6月27日付けのフリーメイソンの盟友プフベルクにあてた手紙である。心配なのは、家計の金回りだけではない。暗い考えが、彼の心を蝕んでいると、訴えている。果たしてこの鬱屈した感情は、何なのだろうか。まるでモーツァルトの暗い晩年を予測しているみたいである。






