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――オペラ『イドメネオ』は、どんな風に作曲が進められたのですか。 レオポルト 台本はザルツブルグに住むイタリア人司祭のヴァレスコが担当したこともあって、私がヴォルフガングとの連絡役を演じなければなりませんでした。ヴォルフガングは1780年の11月7日にミュンヘンに着き、役柄に合わせて作曲を始めていたので、息子の台本に対
本学スポーツ教育学科は、1年次から地域より多くの学びの場をいただきながら地域と連携した実践教育に力を入れています。大学で学ぶ知識や理論を実際の現場に活かすことで、社会の反応を肌で感じ、知見を広げることで企画する楽しさや多角的に考える力が身につけられるのも本学科ならではの特長です。 私が担当する地域スポーツマネジメントゼ
――マンハイム・パリ旅行から帰られてからの息子さんの日々の様子を教えてください。 レオポルト 私は、帰宅した息子を抱きしめ、その苦労をねぎらいましたが、私の妻の死については、当時の状況を確認はしましたが、息子の責任を追及することはいたしませんでした。ヴォルフガングには、これからの家計の一端を担ってもらわなければならない
現代社会は、学歴より学ぶ力が重要視されています。特に、地域や人と関わる仕事においては、経済産業省より「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」など、社会人基礎力として必要な能力が提唱されました。 私が在職するびわこリハビリテーション専門職大学では、リハビリの専門的な知識の修得のみならず、実践力を兼ね備えた人
――妻を亡くされても、息子さんはパリで活動を続けられたのですか。 レオポルト いや、あいつの頭にあったのは、無理矢理引き離されたと思っているアロイジアのことばかりなのです。もちろん、母親の死は、大きな打撃だったでしょう。でも、それが息子のアロイジアへの気持ちに変化を起こすようなことはなかった。グリム男爵からも見捨てられ
春は桜の下で、夏はプールで、秋は木の実で、冬は雪遊びで、子どもたちと一緒に過ごす園生活を夢見て入学してきた学生たち。短期大学部の児童学コースでは、保育士資格・幼稚園教諭2種免許状が取得できます。学生一人ひとりが、2年間必死で勉学に励み、目標に向かって頑張っております。 私は、35年間の保育現場経験を活かし、一人でも多く
――息子さんをパリに行かせたのは、失敗だったとおっしゃってましたが。 レオポルト もともと、マンハイムがうまく行かなかったら、パリに行くものと決めてはいましたが、アロイジアの出現で、事態は大きく変化しました。とりあえず息子をアロイジアから遠ざける必要があったので、予定を前倒しして、パリへ行かせました。それにパリには、グ
私たちは4年前、「専門学校」から「専門職大学」へ進化するとき、「病気になった人に手を差し伸べる」理学療法から、「健康寿命を延ばす」理学療法にシフトチェンジしました。 日本は世界でも稀にみる超高齢化国です。医療保険や介護保険の財源は潤沢ではありません。これまで、我が国は60歳の定年まで企業に勤め、定年後は年金収入と退職金
――マンハイムでは、息子さんは初めての恋愛を経験されたそうですね。 レオポルト よりによって、私が最も毛嫌いしている女の娘に恋などしよって。計画が無茶苦茶になってしもうたわ!私は未だに息子の行動が許せないのです。私は、息子には息子の才能を支え、彼の健康に気を配り、モーツァルト家全体が幸せに暮らせるような女性をあてがう予
「スポーツが健康づくりに対して有益である」。このことは既に周知の事実となっています。 身体をよく動かし体力を高く保つことが、例えば糖尿病などの生活習慣病や心疾患・脳血管疾患の発症予防・重症化予防に貢献し、これらに伴う死亡率を低下させるためです。 しかし、どのようなしくみで体力が向上するのか、年齢や体力が異なる人々に対し
――ミュンヘンの次にアウクスブルクを訪ねられてますね。 レオポルト ええ、私の生まれ故郷ですから、昔の学友で今は市長になっているランゲマンテルさんを訪ねてみるように息子に言いました。またヴォルフガングがピアノ職人のシュタインさんの作った素晴らしいピアノを直接見て、何か感じてくれるとうれしいなあと思っていたのです。 ――
小中学生時代、同居の祖母は慢性関節リウマチと脳卒中による片麻痺を患っていました。歩く介助や、母や妹と車椅子に座る祖母と散歩をした記憶があります。病前から油絵を嗜んでいた祖母のベッド前のテーブルに、母は花や林檎、時に南瓜といったモノを添えては、非利き手で描く祖母の水彩画は数を重ねていきました。やがて家族や親族の協力のもと
――最初の町、ミュンヘンでは、宮廷の職を手に入れられなかったと聞いていますが。 レオポルト ええ、その通りです。当地の選帝侯から「空席がない」と断られたようです。ただ、私には、この返答は想定内のことでした。ミュンヘンとザルツブルクは隣町も同然です。ザルツブルクを飛び出した若い音楽家を隣町ですぐさま雇ったとなると、選帝侯
間もなく8月を終えようとしています。多くの小中学校が8月末から9月初旬にかけて2学期を迎えます。2学期の始まりを楽しみにしている子どもたちがいる一方、「学校に行きたくても行けない」とか「学校に行くのが怖い」と感じている子どもたちもいます。前日にちゃんと登校の準備をして就寝したのに、朝なかなか起きてこなかったり、起きても
――今回の旅は9月23日に出発され、最終的には、パリにまで足を延ばされていますが、どんな計画を立てておられたのですか。 レオポルト 位置づけとしては、もちろん、息子の就職の旅です。従って、ヴォルフガングが大都市で確固とした地位を手にすることができたら、そこで旅は終わります。だが、この旅は、結果として、一家にとり、最悪の
びわこリハビリテーション専門職大学では、卒業時に獲得できるライセンスがあります。その中の一つが、「中級 障がい者スポーツ指導員」です。これは、日本パラスポーツ協会公認のライセンスで、臨床家のPT(理学療法士)、OT(作業療法士)が取りに行くほど大変人気があるものです。全国に初級の認定校は157校もありますが、中級は37
――いよいよ、マンハイム・パリ旅行のお話をお聞きしたいと思います。確か、1777年の8月に息子さんが大司教に「離職を認めてくださるよう」との請願書を書かれていますが、その意図は何だったのですか。 レオポルト あれは息子から大司教への請願書の形式を取っていますが、私が書いたものです。それに先立つ3月にも、6月にも、大司教
本学ライフデザイン学科健康福祉コースの学生は、介護福祉士の資格を取得し、卒業後は地域の介護福祉施設で介護職に就きます。新型コロナウイルスが流行し始めた時に入学した学生が2年間の学修を修了し、今春無事卒業しました。入学当初は未知のウイルスへの対応や初めてのオンライン講義など不安を感じたと思います。そんな学生も学修を深める
――1775年3月にミュンヘンからザルツブルクに帰られてからは、しばらく故郷で過ごす日々が続きますが、どれくらい続いたのですか。 レオポルト 息子と母親がマンハイムやパリ方面への旅に出る1777年9月までのほぼ2年半です。 ――では、息子さんは宮廷での仕事を粛々とされていたのですね。 レオポルト 何かいい機会があればと
びわこリハビリテーション専門職大学に通い始めて、2年が過ぎました。春の桜や菜の花、麦の穂が風になびく畑、稲刈りの後の圃場、冬の銀世界と、大学周囲の四季には飽きる事がありません。45年前に滋賀医科大学に入学し、その後の大半を滋賀県内で過ごしました。今や、私にとって滋賀県が自慢の故郷です。 滋賀医大に入学した少し前までは、