「ステージパパ、レオポルトの本音」 失意の帰郷(29)
――妻を亡くされても、息子さんはパリで活動を続けられたのですか。
レオポルト いや、あいつの頭にあったのは、無理矢理引き離されたと思っているアロイジアのことばかりなのです。もちろん、母親の死は、大きな打撃だったでしょう。でも、それが息子のアロイジアへの気持ちに変化を起こすようなことはなかった。グリム男爵からも見捨てられたからには、このままパリに居続けても、埒が明かないことは目に見えていました。息子を何としてもザルツブルグへ引き戻さねばならないと、私の覚悟は決まりました。そこで屈辱的ではありましたが、大司教に頭を下げて、息子の復職のお願いをしたのです。
――認められたのですね。
レオポルト 幸いです。でも息子はザルツブルグが嫌で、帰りたくないと言うわけです。私は言葉を尽くして、説得しました。手紙で何度も、ザルツブルグで生活することの優位さを説明し、アロイジアの交際の邪魔をしないとまで言いました。なだめすかし、時には脅迫までして、あげく息子はやっと帰郷を同意してくれました。それでもヴァイオリンは弾かない、ピアノを弾きながら、楽団を指揮することができるなら、帰るという。「楽長の約束を取り付けろ」とまで言うわけですから、私も、はらわたは煮えくり返っているのですが、ここでブチ切れて、息子が翻意してしまったら、復職を認めてくださった大司教に対し恩を仇で返すことになるので、ぐっと我慢し、優しくひたすら説得しました。
――で息子さんは、最終的には帰って来られたのですか。
レオポルト ミュンヘンまで連れ戻すのだって、ひと苦労ですよ。あちこちで予定外の行動をし、帰郷を遅らせ、一番私を怒らせたのは、シュトラスブルクから、一直線に帰ってくればいいものを、わざわざ遠回りして、マンハイムまで足を延ばしたことです。しかも、マンハイムで就職するかもしれないと手紙を送ってきた時は、本気でブチ切れました。怒鳴りつけるように、すぐにマンハイムを去れと言いました。やっとミュンヘンに着いたのは、その年の年末ですよ。もう開いた口が塞がりません。
――よほど、ザルツブルグが嫌だったのですね。
レオポルト ええ、もちろんザルツブルグが嫌だと表向きは言ってますが、親の直感で申し上げると、私の元に戻るのが嫌だったのではないかと思いますね。きっと口うるさい私が、うっとうしく感じられたに違いありません。
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






