「ステージパパ、レオポルトの本音」 ミュンヘンでの出来事(25)
――最初の町、ミュンヘンでは、宮廷の職を手に入れられなかったと聞いていますが。
レオポルト ええ、その通りです。当地の選帝侯から「空席がない」と断られたようです。ただ、私には、この返答は想定内のことでした。ミュンヘンとザルツブルクは隣町も同然です。ザルツブルクを飛び出した若い音楽家を隣町ですぐさま雇ったとなると、選帝侯と大司教の間にぎくしゃくした関係が生まれかねません。たとえ余人をもって代えがたい音楽家であっても、誰もあえてそういう愚を犯したいとは思わないわけです。だから私としては正式な採用ではなく、短期の仕事を見つけて、「宮廷とのコネを継続できればそのうち」と考えていたのですが、どうもうまく行きませんでした。息子をサポートするグループが結成されて、月々ヴォルフガングの生活費を拠出するという案も出されたようですが、そういう他人の恩義を頼りにした生活は、いずれ破綻することが目に見えているので、就職先が見つからないなら、あまり長逗留(とうりゅう)せずに、次の町に行ったほうがいいと息子に言いました。
――ミュンヘンでは、息子さんはミスリヴェチェクさんと再会されたようですね。
レオポルト はい。ミスリヴェチェクさんとは、イタリアのボローニャで初めて会ったとき以来ですから、7年は経っていました。息子は、イタリア人が宮廷で幅を利かせている現状には大いに不満を持っていましたが、音楽の都、イタリアには終生、憧れの気持ちを抱き続けていました。ミスリヴェチェクさんは、異国の地に生まれながらイタリアでの成功を自分の手で勝ち取った成功者ですから、先達としての彼に対する羨望(せんぼう)の想いがあるわけです。当然のことながら、彼が病気でなかったら、息子はもっとミスリヴェチェクさんと親しく交際しただろうと思われます。何しろ、ミュンヘンに来られた理由は、忌まわしい病気の治療のためでしたから。
――聞くところによると、梅毒の治療だそうですね。
レオポルト その通りです。息子の手紙によると、鼻がもげていて、正視に耐えられなかったそうで、匂いもひどく、息子は病室では会わず、建物の外で再会を果たしたようです。ミスリヴェチェクさんは、ナポリでいくつかオペラを書く契約を取っており、そのうちの一つを息子に回してもいいと話してくれました。ただ冷たい言い方になってしまいますが、あの人がああいう病気になったのは自業自得だと思っていますから、あの人をあんまり同情する気にはなれないんです。息子は息子で本当はオペラを書きたくてしょうがないのですが、オペラの相談のため病室に行き、彼と話をしなければならないと思うだけで、気が滅入るようでした。イタリアでのオペラの話自体は、本当に可能なら、好ましい提案ですが、少なくともこの一年間は無理だろうから、事と次第によれば、翌年以降、考えてもいいのではないかと胸の内で思っていました。
――なるほど。では、次回は、次の逗留地アウクスブルクのお話をお願いします。
モーツァルト・バー「キール」
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