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――大司教と息子さんの決裂は、結局どんな結論をみたのですか。 レオポルト いや、正直言うと、私はこのことを思い出したくもないのです。言葉にできない不快の念と許しがたいことに出合った時に味わう憤怒の感情が、どうしても心の奥底から湧き上がってくるのを止めることができないのです。息子は私を、仲の良かった姉を、そして心から応援
皆さんは近江鉄道を題材にした映画「ガチャコン!」を知っているだろうか。滋賀県東部で重要な交通手段となっている近江鉄道。しかし近年、沿線の人口減少や自動車の普及により、1994年から赤字経営が続いている。そんな近江鉄道、通称「ガチャコン」を盛り上げるべく、地元出身の映画監督ムラヤマ・J・サーシ氏や市民団体によって、映画「
長命寺の坊を構成する尼寺。長命寺参道入り口に建つ。太子が開基し、現在、聖徳太子を祀っている。穀屋尼寺は中世末の長命寺復興に際して、勧進を務めるなど大きな役割を果たした。
太子は長命寺を開基すると同時に、長命寺山に多くの寺院も開いた。いずれも長命寺に関係する寺院として維持されてきた。この禅林院は長命寺参道に面して建っていたが、現在無住となっている。
長命寺山を訪れた武内宿禰が柳の霊木に長寿を祈り、300年の齢を得る。後に聖徳太子がこの柳の霊木に観音を感得し、自ら観音の像を刻んで安置したことに始まる。本尊として、十一面観音・千手観音・聖観音の三躯の観音像が巨大な厨子の中に秘仏として祀られている。境内には、観音信仰と自然信仰とが結びついた聖地が多く残り、西国観音霊場と
■2千世帯分を供給 黄和田発電所は東近江市黄和田町の西端部にあり、神崎川(愛知川上流部)が大きく湾曲した右岸に位置する。対岸は国道421号沿いの「道の駅・渓流の里奥永源寺」(旧・政所中学校)でいつも賑わっているが、黄和田と政所を結ぶ右岸の道路は車の姿もほとんど見かけない。 道路を隔てた山の斜面に、太く長い水圧鉄管が敷設
地域の伝承によれば、昔、惟高親王か、天武天皇、あるいは聖徳太子が滞在したことから、「王の浜」になったと伝える。また、むべを献上したとも伝え、天智天皇の姿も見え隠れする。
――息子さんが大司教と大喧嘩したのは、どんな経緯があってのことなんですか。 レオポルト 当時、大司教は、お父様の具合が悪いというので、お見舞いのためウィーンに滞在なさっていたのですが、当地の貴顕の方々とのお付き合いの関係もあり、ぜひとも音楽会が必要になりました。そのためには、どうしても息子が中心におらねばならず、約束の
小笠原諸島最大の父島は、面積23・45平方キロメートル。旧八日市市の面積(52・6平方キロメートル)の半分ほどの広さで、火山島のため平地が少なく、そのほとんどは山間部で占められている。 まちの機能は島の玄関口である二見港周辺に集中し、国や東京都の行政機関が配置されている。中心部にメインストリートが通り、その沿道に観光施
同寺は聖徳太子が八幡山に建立。戦国時代までは山上にあったが、元亀(1570)の兵乱のとき、隣村の北之庄の法華の峯北谷に移転した。さらには信長が安土城を築城する際、安土の慈恩寺に寺院を整備(浄厳院)し、このとき弥勒堂を遷して浄厳院の本堂とした。
小笠原で国内初めてのコーヒー栽培を指導したと伝わる榎本武揚については、小笠原ビジターセンターで紹介されていないため、父島で当時のコーヒー栽培を続けている野瀬もとみさん(54)を訪ねた。 父島にコーヒーの栽培が始まったのは、明治11(1878)年、 オランダ留学でコーヒーの存在を知った榎本武揚が、インドネシア・ジャワ島の
八幡山の南、青根八幡宮を構成する寺院で、この地で活躍した青根長者が建立したと伝えられるが、現在詳細不明。香梅寺の本尊阿弥陀如来が太子作。本地堂本尊十一面観音は最澄作、護摩堂不動明王円珍作、毘沙門堂空海作と伝えられる。
八幡堀に面して建つ。太子に関係ある安土浄厳寺院の末寺。本尊阿弥陀如来は聖徳太子作。脇侍の観音菩薩・勢至菩薩は恵心僧都原信の作・薬師堂(弁才天堂)に祀られている弁才天像は、拾法太師空海作と伝えられる。
最初に小笠原ビジターセンターを訪れた。島の歴史が紹介されていた。 展示によると、3人の探検家のうち、航海術に長けていた江戸時代初期の探検家・嶋谷市左衛門(生年不詳―1690年)は、1675年、幕府の命を受け、小笠原諸島の無人島に上陸して測量をもとに地図を作成して地名を付け、島の鉱石や動植物を持ち帰った。これが政府による
――オペラ『イドメネオ』は、どんな風に作曲が進められたのですか。 レオポルト 台本はザルツブルグに住むイタリア人司祭のヴァレスコが担当したこともあって、私がヴォルフガングとの連絡役を演じなければなりませんでした。ヴォルフガングは1780年の11月7日にミュンヘンに着き、役柄に合わせて作曲を始めていたので、息子の台本に対
小笠原最大の父島 小笠原に行くには、東京から父島まで就航している大型定期船「おがさわら丸」が唯一の公共交通手段で、人の往来のほか物資の運搬など、島民の生活を支える重要なライフラインの役割を果たしている。片道24時間の船旅で、船内で1泊して翌朝午前11時に父島の二見港に着く。現在、空港の建設計画はあるが、実現していない。
太子が諸国を巡検している時、日牟礼山から瑞光がたなびき、ここに阿弥陀如来と観音菩薩を感得した。太子は宿願であった物部守屋の冥福を祈るため、ここに寺院を建立した。そして、300年後ここが阿弥陀如来の聖地となると告げた。安置されている地蔵菩薩は太子作。
愛智郡城橋は現・東近江市中岸本町に存在する。御河辺橋を北上する県道216号途上の堂山と呼ばれる丘陵部付近がそれで、いまも丘陵には薬師如来をまつる小さな祠堂が存在する。 蛭谷の惟喬親王「御縁起」は、岸本村・東村蔵人が書写したものを寛永16(1634)年に蛭谷・大岩助左衛門重成らが買い入れたものである(巻末の書付による)。
■原本から書写した瓦屋禅寺版 ところで、瓦屋禅寺に伝えられる「八日市場市神之略本記」は巻物になっている。鯛を抱えた恵比寿像の押印はない。 八日市場の起源を記した内容をはじめ、内容は変わらないが漢字には振り仮名があり、文章の末尾に「推古九年より安政五年まで千二百六十年也」と記されている。推古9年から安政5(1858)年ま
――マンハイム・パリ旅行から帰られてからの息子さんの日々の様子を教えてください。 レオポルト 私は、帰宅した息子を抱きしめ、その苦労をねぎらいましたが、私の妻の死については、当時の状況を確認はしましたが、息子の責任を追及することはいたしませんでした。ヴォルフガングには、これからの家計の一端を担ってもらわなければならない