中島 伸男
■2千世帯分を供給
黄和田発電所は東近江市黄和田町の西端部にあり、神崎川(愛知川上流部)が大きく湾曲した右岸に位置する。対岸は国道421号沿いの「道の駅・渓流の里奥永源寺」(旧・政所中学校)でいつも賑わっているが、黄和田と政所を結ぶ右岸の道路は車の姿もほとんど見かけない。
道路を隔てた山の斜面に、太く長い水圧鉄管が敷設されているのを見落としたら、黄和田発電所の存在には気付かないかも知れない。
同発電所が発電を開始したのは大正11年(1922)4月。稼働をはじめて今年で101年目になる。
これまで、愛知川水系に建設された発電所のうち、もっとも古いものは萱尾発電所の明治44(1911)年、次いで相谷発電所の大正8(1919)年があった。一時期、愛知川水系にはあわせて4か所の水力発電所があったが、ともに昭和42年4月、永源寺ダム建設により萱尾発電所は水没、相谷発電所は永源寺ダムに併設後廃止となり姿を消した。
現在、愛知川水系で稼働している発電所は、黄和田発電所(水路式)のほかに、神崎川発電所(水路式・昭和24年発電開始)と、昭和52(1977)年に全面稼働した永源寺発電所(ダム式)があるが、歴史は黄和田発電所(平成5年、全面的改良工事)が圧倒的に古い。
黄和田発電所の認可出力は1440キロワット。約2千世帯が消費する1年間分の電力を供給しているという。
発電開始から101年!
■「障害百出、成立至難」の状況
明治42(1909)年10月、近江水力電気株式会社(本社・彦根町)が設立された。
設立発起人は彦根町(現・彦根市、以下同様)・浅見竹太郎ら44人で、八日市町・山上村・高野村・東小椋村などからも有力者が成立に加わった。電気の供給計画の区域は彦根町から八日市町・八幡町、そして水口町など広い範囲に渡っていた。
金屋の油商・油九こと熊木九兵衛(第四代八日市町長・翦風号で知られる九兵衛の父)も同社の設立委員に加わり、取締役に就任した。
同家は代々、屋号「油九」を称し家々に灯油を販売していた。電灯が普及することはすなわち、己の商いを細らせることにつながる。しかし、九兵衛は「電気」という新しい文明に魅せられたのであった。愛知川の豊富な水量をもとに、地域発展のための発電事業を軌道に乗せるため彼は事業の実現に尽力した。
しかし、発電所開設については、下流町村の灌漑(かんがい)用水に不足を生じさせるのではないかなど、さまざまな反対運動があった。
九兵衛は、これらの諸課題の解決に奔走し、その心労がもとで病没した。
事業がようやく軌道に乗った大正2(1913)年10月、近江水力電気株式会社から次のような感謝状(抜粋・原文カナ書)が九兵衛に贈られている。
「当会社創設の初め障害百出、成立至難を極めしときに当たり、創立委員としての故熊木氏の熱誠は直接間接に会社の成立を促進せしめたるのみならず、本社のかつて悲境困憊(ひきょうこんぱい)に陥りたるときに際し、毅然としてその節を枉(ま)げず専心会社の成立に尽瘁(じんすい)せられたる功績は当会社の感謝措(お)くあたわざるところなり。」
感謝状には「障害百出」「悲境困憊」など、ただならぬ文言が綴られているが、具体的にそれがどのような内容のものであったのかを知ることはできない。
しかし、水力発電事業の着手・推進にあたってはさまざまな課題が立ちはだかり、その解決に尽力したのはもちろん熊木九兵衛一人ではなかったであろう。






