【県】 坂本城主だった戦国武将・明智光秀が聖衆来迎寺(大津市比叡辻2)へ仏の供養のための米を納めることを伝えた手紙で、光秀と地域寺院との関係を知る重要史料として研究者らに知られる古文書「明智光秀寄進状」について、45年ほど所在不明となっていた原本が、今年10月、同寺から再発見され、県立琵琶湖文化館(大津市打出浜)らの調査により、光秀の筆跡などから、同原本であることを確認したことをこのほど同館の井上優副館長が発表した。
井上副館長によると、原本を確認できたことで、上質な和紙に内容を立派に見せる手法で書かれていることが改めて分かった一方、当時の光秀は織田信長から与えられた別姓を名乗っていたが、手紙では「明智光秀」と署名されており、光秀が明智姓と別姓を使い分けていた可能性があるかもしれないなど、今後の研究で注目される史料となるという。
同古文書は来年1月7日~2月4日、県立安土城考古博物館(近江八幡市安土町下豊浦)で「速報!!再発見 明智光秀の寄進状!」題して展示される。







