古信楽の名品が信楽に集う!!信楽焼の歴史的エポックを紹介
◇甲賀
県立陶芸の森(甲賀市信楽町)は開設二十五周年記念として、特別展「信楽への眼差し」を開催している。
信楽焼の歴史の中でエポックメイキング(転機)となった「信楽茶壷」「十五世紀から十七世紀の信楽茶陶」「昭和の古信楽ブーム」の三つのテーマで古信楽の名品が展示されている。十二月十三日まで。
信楽焼は、鎌倉時代十三世紀の後半に日常器を焼成する窯として始まったが、茶の湯の世界で茶道具としてとり入れられた。
江戸時代には、良質な茶壷の産地として知られ、徳川将軍家への献上茶を詰める「腰白茶壷」が信楽で焼かれたこともある。
またその後、昭和期中頃に沸き起こった古陶磁ブームを背景に、有識者や古陶磁愛好家によって、中世の大壷など古信楽の持つ魅力が再認識された。
陶芸の森では、信楽焼の歴史の中でエポックメイキングとなった「信楽茶壷」「十五世紀から十七世紀の信楽茶陶」「昭和の古信楽ブーム」の三つのテーマで、各時代の人々の眼差しを振り返る。
毎週月曜日は休館日だが、十二日および十一月二十三日の月曜日・祝日は開館し、十月十三日、十一月二十四日の火曜日は振替休館となる。入館料は一般七百円(団体五百六十円)、高大生五百円(四百円)、中学生以下は無料。特別展の内容は次の通り。
「信楽茶壺-信楽陶工の勲章」
信楽焼の茶壷は、すでに室町時代には、茶人から高い評価を受けていた。
そして江戸時代前期には、徳川将軍家への献上茶を詰めるための「腰白壷」が信楽で焼かれた。諸大名たちもこれにならって信楽の腰白茶壷を用いたことが知られている。
その後、大正期ごろまで、信楽焼の主産品として大小さまざまな茶壺が大量に焼かれた。
昭和九(一九三四)年に信楽を訪れた陶芸家・河井寛次郎(一八九〇~一九六六)は「ここで出来た茶壺は全国の葉茶屋の店先を飾っていた。青い茶の簾薬(すだれやく)による白や青の壷がそれである。これは信楽の名誉ある勲章であったが、近年全く作られなくなった」と、すでにこのころなくなっていた信楽茶壷を懐かしむ言葉を残している。
「茶陶信楽への眼差し」
信楽焼は、鎌倉時代十三世紀の後半に日常器を焼成する窯として始まったが、室町時代十五世紀には、「わび」「冷え」など日本独自の美感を取り入れながら展開していた茶の湯の世界で茶道具(茶陶)としてとり入れられた。
室町時代から江戸時代前期にはどのような信楽焼の茶陶が好まれていたのかを、名品を通じて紹介している。
「古信楽に魅せられた人々の言葉から」
中世に始まる信楽焼は、元来は釉薬(うわぐすり)を施さずに高温で焼き締める「焼締陶器」(やきしめとうき)だった。しかし江戸時代の中頃から、色とりどりの釉薬を施すようになり、現在に至っている。
その後、昭和三十年代から四十年代には、各地で行われた古窯発掘調査をきっかけに古陶磁への興味が高まり、古信楽に魅せられた多くの文化人らが、焼締の古信楽の魅力を語った。これらの言葉は古陶磁愛好家たちにも影響を与え、「古信楽ブーム」が沸き起こる。このコーナーでは古信楽壼に魅せられた文化人たちの言葉やエピソードとともに古信楽壷の名品の数々を紹介。









