関ヶ原・東軍武将の家紋か それとも縁起担いで製作?
◇甲賀
関ヶ原の戦い(一六〇〇年)で東軍に攻め落とされた、西軍の水口岡山城跡(甲賀市)の発掘調査を実施している甲賀市教育委員会は、最古級の揚羽蝶(あげはちょう)文様の鬼瓦が出土したと発表した。同市教委は「このような文様の鬼瓦は非常に珍しく、複数出土したのは特筆すべきこと」としている。
揚羽蝶文様の鬼瓦が見つかったのは、天守跡と推定される古城山頂付近で、揚羽蝶を横から見た文様など三種類、計四個が出土した。
揚羽蝶の鬼瓦が見つかった背景について、同市教育は「いずれも決定打に欠け、確定的とは言えない」としながらも、二通りの考えを示している。
まず一つめは、東軍の攻め手、池田長吉の家紋が揚羽蝶だったこと。長吉は、同城を一時的に預かっており、その際、同家の家紋である揚羽蝶の鬼瓦などで改修した可能性があるという。ただし、長吉の在城期間など、考慮すべき点が残るとしている。
二つめは、家紋とは別に、縁起物を吉祥文様として採用する事例があること。蝶は古来より「不死不滅」「転生輪廻」の象徴とされ、源氏物語にも登場する。ただし、揚羽蝶を鬼瓦の文様につかった事例は、ほかにない。







