弘誓寺大広間・書院など9件
◇全県
滋賀県教育委員会は十九日、県文化財保護審議会の答申を受けて、県の有形・無形文化財など九件を新指定、追加した。
新指定を受けたのは、(1)弘誓寺(ぐぜいじ)大広間および書院(東近江市)(2)>絹本着色慈恵大師像(延暦寺=大津市)(3)木造阿弥陀如来及び両脇待立像(西教寺=同市)(4)黒漆磬架(長寿寺=湖南市)(5)家型石棺部材(正眼寺=東近江市)(6)滋賀県行政文書(県)(7)陶芸家の神農巌氏56(大津市)、追加指定は(8)おから山古墳など勝堂古墳群(東近江市)、選択は(9)「八日市の太鼓踊」(長浜市)。
【有形文化財】
▽弘誓寺(東近江市五個荘金堂町)=大広間および書院は、東本願寺門主を迎えるための建てられたと推測される。建築は大広間が宝永五年(一七〇八)、書院が同七年(一七一〇)でほぼ同時期。
大広間は複数の部屋が二列に並ぶ二列形式の広間としては、県内の真宗系寺院で最古のもので、良材を用いた質の高い建築。一方、書院は、床や違い棚などを設けた本格的な造りで、他の部屋も数寄屋の要素を取り入れ、質の高い意匠を凝らしている。
▽絹本着色慈恵大師像(延暦寺=大津市)=比叡山中興の祖とたたえられる慈恵大師良源(九一二~九八五)の肖像画。制作は鎌倉時代(一四世紀)またはそれをさかのぼるとされ、慈恵大師良源を描いたものでは最古。
▽木造阿弥陀如来及び両脇待立像(西教寺=大津市)=鎌倉時代の仏師、快慶の一番弟子である行快作の仏像のうち現存最古のもの。理知的な表情や、左腰を後方に引きながら左足を前に出す姿勢などに、鎌倉時代に活躍した慶派仏師の特徴が見られる。
▽黒漆磬架(こくしつけいか)(長寿寺=湖南市)=磬架は磬と呼ばれる梵音具を吊り下げる仏具。基台裏に室町時代の文正二年、草津市山寺町付近にあった寺に寄進されたことを記す刻銘がある。中世の磬架の遺品は極めて少なく、なかでも年号が記されているものは、本品と唐招提寺の二例のみ。
▽家型石棺部材(正眼寺蔵=東近江市勝堂町)=古墳時代(七世紀)。蓋右と底石とみられ、完形に近い残存状態で、石材は兵庫県南部の加古川流域産出の「竜山石」(凝灰岩)である。近畿地方の有力古墳と共通する兵庫県産石材を使用している点で貴重であり、当地における有力者の存在をうかがわせるとともに、当地と遠隔地との交流を示す。
▽滋賀県行政文書(県庁)=慶応四年(一八六八)から昭和二十年(一九四五)の永年保存の公文書。明治中期に建設された琵琶湖疏水や、ロシア皇太子が遭難した大津事件に関わる文書が含まれる。
【無形文化財】
▽神農巌氏56(大津市和邇北浜)=青磁の分野で、土を盛り上げて造形する堆磁(ついじ)で独自の技法を確立し、数々の受賞を重ねている。シャープな文様や直線的文様、優美な曲線の文様が、清楚な気品をかもし出している。
【記念物】
▽勝堂古墳群(東近江市勝堂町)=既指定の赤塚、弁天塚両古墳に、新たにおから山と行者塚の二古墳(六~七世紀)を追加。勝堂古墳群は、愛知川右岸中流域の平野部に立地する古墳時代後期の古墳群。指定の四基は、愛知郡域の首長墓と呼ぶにふさわしい大型の墳丘規模を持ち、愛知郡の渡来系有力豪族、依智秦氏を被葬者と推定する説がある。
【無形民俗文化財】
▽「八日市の太鼓踊」(長浜市)=八日市の太鼓踊は、長浜市湖北町八日市で伝承されている太鼓踊である。直径一メートルほどの大太鼓を据え、その周囲を小太鼓と鉦が回りながら踊るのを特徴とする。県内には多くの太鼓踊があり、特に湖北地方の村々で多く踊られている。













