11月に生誕100年を記念した回顧展
◇湖南・甲賀
芸術家、岡本太郎氏(明治四十四年―平成八年)の代表作の一つ、大阪万博のモニュメント「太陽の塔」が、やきもののまち信楽町で制作されたことはあまり知られていない。生誕百年と名誉町民四十年を記念して、業績を見直す回顧展が今年十一月一日から約一か月間、県立陶芸の森(甲賀市信楽町勅旨)で開催されるのをひかえ、残された足跡を陶都に訪ねた。
東京五輪のレリーフから始まり
陶都での制作は生涯15作品
「岡本さんは太陽の塔の『過去の顔』の完成披露で新聞記者を呼んでね、作品の口の部分にビールをつけて祝うのを写真に撮らせたんだ。まだ、パフォーマンスが一般化していない時代だったけど、そういうセンスも一流だったね」と、焼成を受注した信楽焼振興協議会会長の奥田實氏(78)は、昨日の出来事のように当時を懐かしんだ。
信楽焼は昭和三十年代から、大物製品を得意とする伝統をベースに、外装タイルやレリーフなどの大型タイル生産に進出した。これに伴ってメーカーとして建築家の厳しい注文に応じるため、表現技術(色彩、造形)の研究を重ね、これが独自の色彩と造形感覚をもつ岡本氏との出会いにつながった。
岡本作品の信楽第一作は、東京五輪(昭和三十九年)会場である国立代々木競技場のレリーフ。同競技場を設計した建築家、丹下健三氏の紹介を通じて知り合った。これを振り出しに、生涯を通じて十五もの作品が、信楽で制作された。
奥田氏は芸術家との共同制作について、「芸術家は、焼成を請け負うメーカーが、自分の考え方をどう解釈し、表現するかを、研ぎ澄ました目でじっとみている。だからメーカーは焼き物だけでなく、アートも理解できてないといけない」と語る。
こうした交流から岡本氏の代表作の一つ、昭和四十五年の大阪万博モニュメント「太陽の塔」の三つの顔のうち、過去を象徴する「黒い太陽」が制作された。 同氏の指導のもと、顔を構成する漆黒のタイル(二十五センチ×九センチ)が無数に焼かれ、指示通りに広場に並べられると直径八メートルの「黒い太陽」の顔が現れた。
制作現場では、後に旧八日市市(東近江市)で布引焼を開く小嶋太郎氏をはじめ、陶芸を学ぶ若手たちが集い、陶芸と建築、現代アートの融合を学んだ。その経験は、信楽を巣立ち、湖国の陶芸を支えるベテランとなった今も生かされている。








