日本近代史の一級史料に注目集まる
【県】 明治維新の立役者である西郷隆盛直筆の書簡(手紙)がこのほど県内で再発見され、注目を集めている。
今回、再発見されたのは明治5年(1872年)、西郷が明治新政府の中心人物だった大久保利通に対して送った書簡。その前年から岩倉遣欧使節団の一員として渡米していた大久保に代わり、留守政府首班を務めていた西郷が国内の状況について詳細を報告した内容で、当時の政治や文化など、豊富な情報を伝える一級史料として知られているが、昭和2年(1927年)に刊行された「大西郷全集」2巻に写真図版付きで紹介された以降、原本の所在は不明とされてきた。
昨年9月27日、大津市の個人から県立琵琶湖文化館に文化財5件が寄託された際、その内の1件に同書簡が含まれており、同館が「大西郷全集」と比較したところ全く同じもので、西郷自筆の原本であることが確認された。
同館によると、同書簡は全長4メートル75センチの巻物状。文章の最後には西郷の通称「西郷吉之助」と署名が記されている。内容には明治政府が江戸幕府の藩を廃止し代わりに県を設置しようと進めていた廃藩置県や華族、士族に支給していた秩禄(給与)の全廃に向けた施策に関しておおむね全国的に順調に進められているが、一部、不満を持つ士族の動きが佐賀県などにある情報があること(この手紙の2年後に明治政府に不満を持つ士族らによる佐賀の乱がおこる)や、西郷や大久保の出身地である鹿児島県の県令(今の県知事)に西郷らの主君だった島津久光がなりたがっているが、身分の高い島津を県令にするわけにはいかず、それを説明してもかんしゃくを起こすので何とかならないかと相談しているなど、当時の詳細が西郷の目線で記されている。また、書簡の冒頭に記された追伸には、大久保の写真を見た西郷が「醜体」、つまり、見苦しいと批判する記述もある。これは西郷の写真嫌いを象徴する発言であり、大久保に対して軽口をきける間柄であった(手紙の翌年、西郷は大久保と対立して下野する)ことが分かる。
また、同書簡は一緒に西郷の実弟・西郷従道が「西郷南洲(隆盛)の真筆(本物)に疑いない」とする鑑定書が表具されているほか、保存箱の中には、京都府の政治家・坪田光蔵から滋賀県民選初代知事の服部岩吉へこの書簡を寄贈する旨の手紙も付属しており、所在不明だった間の文化財の伝来過程について改めて判明した。
同館では「およそ100年ぶりに見つかった日本近代史の一級史料」とし、「文化館には西郷隆盛の書なども保存しているので、今後、それらと一緒に展示などができれば」としている。
今後、同館では5月22日の連続文化講座「花湖さんの打出のコヅチ」の来年度第1回目で「再発見した西郷隆盛書簡とその伝来―アメリカから滋賀へ―」と題した講演(講師・井上優琵琶湖文化館副館長)や県公文書館で5月27日~9月26日に開催する企画展「幕末を生きた人々の群像~公文書に残る直筆書簡~」での特別公開などを予定している。







