近くから寺名刻んだ土器
◇大津
大津市教育委員会はこのほど、同市南志賀三丁目で「錦寺」と箆書(へらがき)で刻まれた、九世紀末頃の緑釉陶器の杯か椀の底部と思われる破片(縦七センチ×横六・五センチ)=写真=が出土した、と発表した。
土器は、発掘地点から西二百―三百メートルに平安時代末期まで存在した「滋賀廃寺」で使われたとみて、同市教委は「滋賀廃寺が平安時代末期まで錦寺(錦部寺)と呼ばれていた可能性が極めて強い」とみている。
出土した土器は、先端のとがったヘラ状の道具で、底部外側に「錦寺」の太い文字が刻まれていた。深い線ではっきり表現されていることから、生産地で焼成前に刻まれたとみる。
なお、滋賀廃寺跡は、大津宮中枢部(錦織地域)の真北に位置することから、宮の構造や規模などといった大津宮の性格を考える上で重視されてきたが、寺名は分かっていない。
しかし従来から、同寺院跡の寺名を、「続日本紀」天平神護二年(七六六年)九月六日条に登場する「錦部(にしごり)寺」に求める考えが出ていた。
記述内容は、藤原仲麻呂の乱を受けて、官軍に協力した近江国の錦部寺に恩賞を与えるというもので、同寺が近江国のどこにあるのかは記述されていない。
しかし、仲麻呂の乱は、近江国の滋賀・高島の両郡が戦場だったため、文中に表れる「錦部寺」について、地名や遺跡の関わりで滋賀郡錦部郷(現大津市滋賀里~浜大津付近)に所在する南滋賀廃寺を「錦部寺」とみたのである。
なお、出土したヘラ書きの陶器は、他の出土物とあわせて、三月十五日まで、大津市滋賀里の大津市埋蔵文化財調査センター(TEL077―527―1170)で公開している。無料。土日は休館。







