21日から県立近代美術館で開催
◇大津
県立近代美術館は二十一日から、企画展「近代の洋画・響き合う美―兵庫県立美術館名品展―」(二十一日―三月十一日)の開催にあわせて、常設展示室においても日本の洋画の流れを紹介する「滋賀の洋画」「日本の前衛」を開催する。会期は四月一日まで。
入場は一般四百五十円、高校・大学生二百五十円、小中学生無料。問い合わせは県立近代美術館(TEL077―543―2111)へ。
なお、内容は次の通り。
【滋賀の洋画】
関西洋画壇の重鎮・黒田重太郎と日本的洋画の開拓者・野口謙蔵の二人を中心に湖国洋画壇の流れを概観する。
黒田重太郎(明治二十年―昭和四十五年)は、大正五年に渡欧し、写実的キュビスムの画家アンドレ・ロートの影響を受けて帰国。帰国後は日本的洋画の追求に腐心する一方で、小出楢重(こいでならしげ)、鍋井克之らと信濃橋洋画研究所を開設したり、昭和二十二年の第二紀会(現在の二紀会)の結成に参加するなど、関西洋画壇の重鎮として精力的に活躍した。
野口謙蔵(明治三十四年―昭和十九年)は現在の東近江市に生まれ、東京美術学校で和田英作に師事した。叔母は著名な南画家・野口小蹟(しょうひん)。東京美術学校卒業後は郷里の蒲生野にアトリエを構え、故郷の自然と人々の暮らしを生涯温かい目で描き続けた。
その作風は「油絵で描いた日本画」と評され、南画の影響の強い、独自の東洋的でダイナミックな様式を示している。また東光会の創立会員として後進の指導にもあたった。
活動拠点が中央から遠い滋賀県であったのと、四十三歳の若さで亡くなったため、戦後は長らく忘れられた存在だったが、近年になって日本的洋画の開拓者のひとりとして脚光を浴びている。
【日本の前衛】
戦前の前衛洋画から戦後の現代平面芸術へとつながる流れを紹介する。戦前に前衛絵画を模索していた若い画家たちの揺りかごとなったのは、昭和十三年、二科会の若い作家たちによって結成された「九室会」だった。
参加した山口長男、斎藤義重、吉原治良ら戦前のパイオニアたちは、戦後もそれぞれ独自の造形を追求し、日本現代美術界の基礎を築いた。
吉原治良は昭和二十九年、若手作家たちと「具体美術協会」を結成し、「未だ誰も試みたことのない方法で描け」を旗印にエネルギッシュな活動を繰り広げた。
そこからは足で絵を描く白髪一雄(しらがかずお)、ドロドロに溶いた絵具を流し掛けする元永定正など多くの作家たちが巣立ち、その活動はフランスのアンフォルメル(非定型)運動の主導者である評論家ミシェル・タピエによって、広く紹介された。
一九六〇年代になると日本の現代美術は、世界の動向と無関係なものではなくなり、少女時代の幻視体験を元に無限増殖する斑点のイメージを生み出す草間彌生(くさまやよい)らが出る。
そして七〇年代のコンセプチュアル・アート(概念芸術)を代表する河原温(かわらおん)や荒川修作らは、いずれもニューヨークを拠点に活動した。
また道路標識をヒントにした明快で単純な抽象画を描いた菅井汲(すがいくみ)、神話的イメージの半具象絵画を描く黒田アキはいずれも、パリを活動の拠点に定める。
現在活躍中の気鋭の作家である岡田修二と伊庭靖子はともに、写真と見まがうフォト・リアリズムの技法で制作している画家で、見ることの意味について深く考えさせてくれる。










