滋賀県平和祈念館で開催中
【東近江】 県平和祈念館(東近江市下中野町)で企画展示「戦場となった南洋の島々」が開催されている。県民が体験した戦争の記憶を27人の体験談や関連資料90点で紹介する。
日本は第一次世界大戦で独領だった西太平洋の島々を占領し、戦後は国際連盟から「南洋群島」として統治を委任された。島々には多くの移民が送られ、太平洋戦争が勃発すると住民を巻き込んだ日米両軍の地上戦が繰り広げられた。
家族離散 父はペリリュー島で戦死
児童の絵日記「わが身もって防波堤に」
展示のうち、高橋正則さん(京都府)の母親は戦前単身でパラオへ渡り、親族の紹介で父親と結婚し、夫婦で雑貨店を営んでいた。だが、戦争によって平穏な日々は失われた。
1944年(昭和19年)、当時43歳だった父親は現地召集され、30歳の母親は政府の引き揚げ勧告に従い、築いた財産を置いたまま、長男と三男を連れて引き揚げ船に乗った。
戦況の悪化で無事に帰国できる保証はなかった。4月、船団は輸送船4隻、護衛艦2隻で出発するが、途中で米軍潜水艦に見つかり1隻が沈没した。
当時の様子を母親は「波のうねりのおかげで乗った船の下を魚雷がすり抜け、横にいた別の輸送船に命中した」と証言を残す。護衛艦からの反撃は花火を見るようだった。
終戦翌年、県内にある父親の実家に身を寄せていた母親のもとに父親の戦死公報が届けられ、パラオ諸島のペリリュー島で玉砕していたことが分かった。遺骨どころか髪の毛一本も戻らなかった。
また、1944年(昭和19)、国民学校4年生だった坂本正邦さんがサイパン島玉砕の話を先生から聞いたときの同年9月5日付けの絵日記は、戦時下の子供たちの心情を伝える。
「教室で先生がサイパンの話をしてくださった。わが身をもって太平洋の防波堤たらん。ぼくはこの言葉を聞いて、何が何でもやりぬくと固く決心した」。
同館の学芸員は、「実際の体験談と資料を見てもらうことで、戦争の悲惨さを知ってほしい」と話している。
企画展の会期は12月22日まで。入場無料。なお、同館ではきょう15日まで、平和を考えるイベント平和ウイークが開かれている。月・火曜日休館。問い合わせは同館(TEL0749―46―0300)。








