まずは天主台に迫る!
【全県】 織田信長が天下統一の拠点として琵琶湖岸に築いた安土城(東近江市、近江八幡市)は、日本史上で初めて高層の天主を構え、小高い丘全体を高石垣で囲んだ豪壮華麗な大城郭だった。しかし、わずか10年で廃城となったため、その実像は謎に包まれたままだ。いよいよ本格化した令和の大調査(2023~42年)は、まず天主台周辺で初の全面的な調査を行うことにしており、実像解明に大きな期待が寄せられている。

革新的なのか、保守的なのか―。時代によってイメージの変わる信長像。多くの人々が関心をもつ安土城・天主の復元案についても、有力な根拠となる資料は、太田牛一が記した伝記「信長公記」しかなく、確定できるものはない。(滋賀県立安土城考古博物館)
■炎上の犯人は不明
安土城の歴史をひもとくと、天正4年(1576)、標高198メートルの安土山で築城がはじまり、同7年に完成した。
天主は、地下階を含めて5層7階で、最上階は金箔貼り、その下の層は朱色で塗られ、高石垣(約15~20メートル)の上に約30メートルの高さでそびえ立っていた。
完成からわずか3年後、同10年6月2日、本能寺の変で信長が自刃し、明智光秀が山崎の合戦で敗れたあと、6月14日から15日にかけて安土城は炎上する。
炎上の原因としては、明智光秀の重臣・明智秀満が焼いたというものや、信長の次男の織田信雄が焼いたというもの、また安土城下からの類焼などの諸説があり、定かではない。
その後すぐには廃城とはならず、信長の孫の三法師が入城するなど機能したが、同13年、秀吉の甥秀次が近江八幡に城を築いた際、安土城下は八幡城下に移転され、ここに安土城は最終的に城としての機能を失った。
■保存・整備への道
昭和15・16年(1940、41)に天主・本丸の一部で発掘調査が行われ、崩れた石垣の部分的な修復や検出遺構の現物展示のための整備が行われた。さらに昭和35~50年(1960~1975)にかけて、天主などのある主郭部の修繕や部分的な発掘調査が継続された。
平成元年(1889)から20年間の調査では、大部分を大手道一帯で実施。石階段や両側の側溝、石塁、大手門付近の虎口(出入口)などを調査したうえ、復元整備を行った。
調査の結果、大手門跡から真っすぐのびる幅の広い大手道は戦(いくさ)を想定した造りでないことから、天下人の居城として、天皇を迎えることを念頭に置いて築城したと考えられている。
■天主台で初の全面調査
昭和・平成で調査が実施されたが、調査の範囲は特別史跡指定地の約20%にとどまり、残りの80%は未調査のままだ。
今回の「令和の大調査」は、「幻の安土城」復元プロジェクトのひとつで、2023年~42年の20年計画。史跡の特性に応じて6つのゾーンに分け、発掘調査と整備、あるいは再整備を行う。
具体的なゾーン区割りは、(1)大手道周辺地区、(2)天主台周辺地区、(3)主郭部周辺地区、(4)旧そう見寺・百々橋道地区、(5)南面内堀・外堀地区、(6)搦手道地区―となっている。
注目の天主台北側の調査は昨年秋から実施されており、期間は整備を含め2030年までの8年間。天主が炎上した際に倒壊した個所とされ、不等辺とされる天主台基礎部の解明や、天主の実像に迫る瓦や金具類の発見が期待される。
県文化財保護課課長補佐兼安土城・城郭調査係長の松下浩さんは、「15年ぶりの調査。しっかり調査することで、着実に成果を上げたい。当面は天主台の構造の解明に重点をおき、石垣はどんな形なのか、どこまで残っているのか解明し、それを整備につなげたい」と話している。
安土城の主な出来事
1576(天正4年)4月から築城が始まる
1579(同7年) 天主が完成し、信長が移り住む
1582(同10年)6月2日、本能寺の変が起こり、信長が死去
1585(同13年)豊臣秀次の八幡山城築城により、安土城は廃城となる
1940(昭和15)翌年にかけて、天主と本丸の発掘調査が行われる
1952(同27) 文化財保護法により特別史跡に指定される
1989(平成元年)~2009(同20)滋賀県が20年計画で平成の発掘調査・整備
1998(同10) 大手道の整備工事が完成する
2023(令和5)~「令和の大調査」で、天主台周辺の発掘調査が始まる
「幻の安土城」
復元プロジェクトとは
安土城の実像を解明し、目に見える形にすることで、その価値・魅力を発信し、県と地域を盛り上げるのが目的。
3本柱=表参照=は、(1)安土城の実像解明と保全(令和の大調査)、(2)安土城の見える化(デジタル再現)、(3)機運醸成(イベント)。
このうち「安土城の見える化」は、各資料や発掘調査の成果に基づいたAR(拡張現実)として提供する。具体的には、復元CGや音声・映像などによる解説など。
メインターゲットである子ども(親子)向けに親しみやすく楽しめるものと、地域住民や歴史ファン、国内外の観光客向けの汎用性のある一般的なものの2つのメニューのスマートフォンアプリを製作する。
(高山周治)













