資料にまとめ平和学習に活用「戦争と平和の語り部」継承へ
【全県】 戦没者を慰霊してきた滋賀県遺族会は、県内の子どもや地域住民に身近な戦跡を知ってもらう取り組みを進めている。終戦から78年を迎え、高齢化で会員が減少する中、悲惨な戦争の記憶を風化させず、次世代に継承しようとしている。(高山周治)
滋賀県遺族会によると、遺児会員の平均年齢は82歳。会員数(一般会員含む)は2005年度の2万人から、昨年度は半数以下の8372人に減少した。2015年には組織の維持を図るため、孫・ひ孫世代による青年部が結成された。
会員数減少で課題となるのが、遺族会が担ってきた「戦争と平和の語り部」の継承。そこで昨年から3カ年計画で始めたのが、各市町単位の支部で身近な戦跡を冊子やDVD化する取り組みだ。
小中学校や地域の平和学習で活用してもらい、「身近な戦争遺跡を知ってもらうことが、戦争を深く知るきっかけになる」と、県遺族会会長の今堀治夫さん(82)=東近江市=は力を込める。
今堀さん自身は、戦争で父・虎治郎さんを3歳で亡くした。虎治郎さんは1944年(昭和19)6月14日、海軍に召集され、翌年1月17日、乗り込んだ艦船が広島から沖縄方面への航行中、米軍潜水艦の攻撃で沈没。当時32歳だった。戦死公報では、鹿児島県・鹿屋沖とあった。
一家の大黒柱を失い戦後の暮らしは過酷だった。母親は、一人息子の今堀さん、祖父母の家族を支えるため、朝早くから夜遅くまで田んぼの力仕事で汗を流し、未亡人会の役員としても活動した。
「農村の男社会の中で、夫のいないハンディを抱え、社会の理不尽さに腹を立てていたと思う」と、振り返る。
そんな今堀さんが地元の戦跡として選んだのが、東近江市伊庭町にあった捕虜収容所。米英など4カ国の連合軍捕虜300人が収容され、食糧増産のため小中ノ湖の干拓作業に従事した。
現在、当時の収容所の跡は残っていない。ただ、集落から離れた公園には、同時期に干拓作業に動員された旧制八日市中学校(現八日市高)と旧神崎商業学校(現八日市南高)の学徒動員の記念碑が建立され、平和の尊さを無言で語りかける。
今堀さんは、「戦争を知らない世代が、戦争の記憶を未来に伝える時期がやがてくる。若い世代に身近な戦跡に足を運んでもらいたい」と訴えた。








