42歳で8耐を完走した多居敦史さん
◇東近江
小学校4年生のとき連れて行ってもらった『鈴鹿8時間耐久ロードレース』に感動し、「いつか8耐を走ってみたい」と夢見た少年は、42歳の夏、とうとうドラマチックにその夢をかなえた。
ひたすら夢を追い続けた多居敦史さん(東近江市平林町)は、2003年にプロレーサーの資格を取り、夢実現への第一歩を踏み出した。
レーサーとしての経験を積み重ねるも、8耐出場のチャンスにはとうとう恵まれず、2007年に現役を引退。村田製作所に入社後も、プロライセンスだけは更新し続け、いつか来るかもしれないチャンスをずっと待ち続けた。
7年が経った2014年5月、かつてのチームメイトから「急きょ出場できなくなったライダーの代わりに8耐に出場しないか」と声がかかった。しかし、本番まで2か月、家族の説得やメンタル・技術面を仕上げるには時間がなさ過ぎた。悔しいが、断念することに。
ところが8耐終了後、「来年いっしょにやろう」と再度誘いが舞い込む。今度こそ夢をかなえるチャンスと、心配する家族を必死で説得し、ついに8耐出場の夢の切符を手にすることができた。
2015年世界耐久選手権シリーズ第2戦「鈴鹿8時間耐久ロードレース 第38回大会」(7月23―26日)の鈴鹿サーキットコース上に、バイクを操る自分の姿があった。
84台中70台が決勝に進める予選に、所属するClub Bali Racing & Team Hookは81番車と84番車の2台(ライダー3人ずつ)で臨んだ。結果は、84番車は70番目で通過したものの、多居さんの乗る81番車は通過できなかった。
「8耐はこれで終わり」と思った次の瞬間、84番車のライダーの1人が基準タイムをクリアできなかったことがわかり、81番車で唯一基準タイムをクリアしていた多居さんになんと、84番車の第3ライダーのシートが回ってきたのだ。落胆は一瞬にして驚きに変わり、その興奮を抑えきれなかった。
本番は「あっと言う間」だった。電子制御系のトラブルで3回のピットストップは約1時間のロスとなったものの、チームは171周を完走し、45位でゴールした。
「やり切った」という思いがこみ上げ、自然に涙がこぼれた。そして、自分が追い求めていた瞬間をじっくりとかみしめることができたのは、完走のメダルをかけてもらった時だった。出場を条件付きで許し、陰で支えてくれた妻も泣いていた。
今は「スッキリした」という達成感がある。現役を辞めた時に「やっぱり8耐走りたかった」という思いが心の奥にあったから。そして何よりも、チーム、家族、職場のみんなに感謝しかない。ライダースーツの胸と背中に「muRata」のロゴも光った。
昨年がすべてだった。すごい巡り合わせだった。今年は何も決まってないが、声がかかれば、いつでも出られるよう、準備はしておきたい。と、レジェンドの魂はまだまだ熱い。(松村好浩 写真は多居さん提供)











