琵琶湖と内湖利用の水城の様子確認
◇高島
高島市教育委員会は十七日、織田信長の甥(おい)である織田信澄によって天正六(一五七八)年に築かれた大溝城遺跡(同市勝野)の本丸石垣を新たに検出したと発表した。
城の設計は、明智光秀と伝えられ、現在も天守台の石垣が乙女ヶ池に隣接して残っていることから、琵琶湖と内湖を巧みに利用した水城であったことがわかるとしている。
天下統一を目指した織田信長による琵琶湖掌握の一端を担った拠点の城といえる。
同市教委では、国の重要文化的景観「大溝の水辺景観」の主要な構成要素である大溝城遺跡の全貌を明らかにしていく目的で、十一月から本丸跡の確認調査を実施してきた。
調査の結果、築城当初の本丸石垣や堀跡が二か所で検出され、詳細が不明であった本丸規模や石垣の残存状況、現在の変遷過程が判明した。
同遺跡は昭和五十八年に実施された発掘調査で、本丸の東端部にある南北方面の石垣の一部が検出されている。
今回の調査では、古絵図などの資料から本丸が推定される範囲に二か所の調査区を設定。それぞれの調査区で、本丸を区画とする外郭の石垣および堀が新たに検出されたほか、本丸北端部では船着場と見られる石垣も認められるなど、水城としての様相も明らかになった。
高島市教委では「今回の調査で本丸の外郭ラインを示す石垣がほぼ古地図と一致して発見された。このことから、地下には本丸跡が良好な形で残存し、保存されていることがわかった。今回の調査と昭和五十八年の調査を整合させた結果、本丸の東西規模は約五十八メートルと判明した。また本丸北端部の石垣は『船着場』とみられる。このことから、本丸へは琵琶湖から直接上がることも可能な構造であったことがわかり、水城としての利用の様子が確認できた」としている。







