国内の水中遺跡調査で初
◇長浜
県立大学の琵琶湖水中考古学研究会(代表・中川永県立大学博士課程三回、日本学術振興会特別研究員DC)はこのほど、長浜城沖約百メートル、水深約一・八メートルで、文政近江地震(一八一九年)で湖底に沈んだ建物遺跡を発見した、と発表した。国内の水中遺跡では初めての建物遺構の発見となる。
同研究会は、林博通・県立大学名誉教授が手がけた琵琶湖の水没伝承遺跡の調査を、同氏退任後から引き継ぐ。
今回の調査は、大地震で集落が没した伝承の残る湖岸線(南北)約三百メートル、沖合(東西)約百二十五メートルにわたる約七千平方メートルについて、スキューバーダイビングによる目視調査を実施した。
この結果、湖岸から沖合約百メートル、水深約一・八メートルの地点で大小の柱材八本と大小の石材による直径八メートルのマウンドが見つかった。一帯は、関連史料によると、長浜城の廃城後、耕作地として利用されていた。遺構は一間×一間の小規模なもので、正面側に庇(ひさし)状の張り出しがある。
この柱材のうち二点のサンプルを放射性炭素年代測定したところ、共通する伐採年代は一八〇二年~一八一〇年に絞られた。遺構が小規模であることと、庶民階層に関連すると考えられることから、伐採された木材はすぐに使われたと推測される。このため、遺構の建築は、江戸時代後期の享和年間(一八〇一~一八〇四)~文化年間(一八〇四~一八一八)の可能性が高い。
また、遺構の存続期間は、伐採年代の測定や諸絵図から判断して幕末~明治初期(一八〇二~一八六七)と考えられ、この間、湖北地域で地盤の変動をもたらすほどの大地震は、湖東地域を震源とするマグニチュード7・2前後の文政二年(一八一九)近江地震が推定される。
今回の発見について同研究会は「長浜城時代の湖岸線が従来想定されていたものよりもはるかに沖合に延びていることを示す成果だ。加えて、日本の水中遺構としては初の建物遺跡として特筆される」としている。
林博通・県立大学名誉教授「水中に建物柱がそのままの状態で発見された初めての事例であり、水中で詳細な調査が行われたというこの調査成果は、わが国の水中遺跡研究史上画期的な出来事といえる」。






