嘉田知事が避難指示区域で見たものは
嘉田知事は十九~二十日、福島県を訪れた。 十九日は、福島県内水面水産試験場(耶麻郡猪苗代町)で魚類などへの影響モニタリング調査を聞くとともに、福島市の県庁を訪ねて佐藤雄平・福島県知事と会談した。その後、同県に派遣している滋賀県職員を激励。
翌二十日は、地元写真家の飛田晋秀(ひだしんしゅう)さん(67)の案内で放射線量が高く避難指示区域になっている富岡町、大熊町を視察した。
飛田さんは震災直後に避難所を訪れた際、当時小学校二年生の少女から「おじさん、わたし大きくなったらお嫁さんに行けるの?」と聞かれて思わず絶句した。この瞬間から「事故を風化させてはならない」と原発事故から被災地を取り続けて写真集「福島のすがた~3・11で止まった町」にまとめ、全国で写真展を開催している。七月六日には滋賀県でも写真展を開く。
そんな飛田さんの写真集に嘉田知事の目がくぎづけになった。だれも住んでないところで、信号だけが機能している写真もその一つ。
「町は人がいて成り立つのに、いなくても機能する信号の不気味さに、思わず背筋が寒くなった」。
そこで福島第一原発から直近で、いまも放射線量が高くて人が住めない富岡町、大熊町に入り、写真集の撮影場所を歩くことにした。
嘉田知事は津波で駅舎が流されたJR富岡駅(富岡町)にタクシーで降りたった。いまも事故当時のままの姿で、線路には雑草が生い茂っている(写真1)。
また津波で流されてきた家が道路の上に乗ったまま、道をふさいでいた(写真2)。
大熊町に入ると車内に置いた放射線測定器の値は、10マイクロシーベルトを指した。ここからは防護服に身を固めて、(財)福島県栽培漁業協会のはげ落ちた丸い屋根の養殖施設周辺を歩く(写真3)。
さらに同町では、無人の福島県原子力センター・オフサイトセンターを訪ねるが、対策本部が設置されていた部屋は当時のままで、大混乱の様子が伝わってくる。
原発事故で救助の遅れから患者ら五十人が二十三年三月中に死亡した双葉病院(大熊町)も当時のまま建物が残っていた。嘉田知事は「死者の無念さが伝わってくる」と放置された大量のペットボトルに目を落とした。
「福島への痛みを持たない人が
政治家をやっているのは怖い」
避難指示区域の視察を終えた嘉田知事は「自分が福島県知事で、この責任を持てと言われても、守りきれない。ひとたび事故が起これば、どんな避難計画をつくってもコントロールしようがない。事故を起こさないためには原発をなくすしかない」と声を詰まらせた。
「過去の政権が進めてきた日本の原子力政策は、被害を受ける住民であるとか、汚される環境のことはほとんど考慮していない。あくまで事業者本位だ。これだけのひどい事故を起こしても、それは今も変わっていない」と語気を強めた。
「国の原子力政策を変えなければいけない。これだけ広い範囲で福島の自然が汚染されることに痛みを持たない人が政治家をやっているのは怖い。石原伸晃環境相の『金目』発言について、「いま地元では『福島に除染廃棄物の中間処理施設ができれば、経済産業省は大喜びだ。三十年、四十年たっても、日本国内で次に持っていくところがない。ここを棄民化して、日本の原発の捨て場にしていく。だから再稼働して、使用済み核燃料をどんどんここに持って来る腹だ』との声も聞いた」。
今回の視察から見えてきたのは「滋賀県は被害地元として、万一の事故の時にどうなるかの答えが福島にある。これは空想ではない。厳粛なる事実だ」と述べ、嘉田知事は福島の田園風景に目を移した。









