重要文化財指定に
◇大津
国の文化審議会は十六日、聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)(大津市比叡辻)の本堂、開山堂、表門の三棟を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申した。今後、官報告知されて正式に重要文化財に指定されることになるが、指定されると県内の重要文化財(建造物)は百八十二件、二百四十棟(うち国宝二十二件二十三棟を含む)となる。
聖衆来迎寺は、比叡山東麓に所在する天台宗寺院。延暦九年(七九○)に伝教大師最澄が地蔵教院を建立して開基し、その後、長保三年(一○○一)に、延暦寺の恵心僧都源信が紫雲に乗じた弥陀聖衆の来迎を感得して「紫雲山聖衆来迎寺」と定めたと伝えられている。
十六世紀には坂本城主であった明智光秀をはじめ、丹羽長秀、豊臣秀吉などの庇護(ひご)を受けた。なお聖衆来迎寺の建造物では、すでに客殿(きゃくでん)(寛永十六年=一六三九)が重要文化財に指定されている。
本堂は、寺蔵文書から寛文五年(一六六五)に建立された。桁行五間、梁間六間の比較的規模の大きな仏堂で、内部は内(ない)・外陣(げじん)が前後に区分されているが、内陣が正面側に突出部を持つ凸字形の平面形式で、近世に見られる凸型平面の天台宗仏堂の初期の本堂として貴重だ。また内部は大虻梁(だいこうりょう)を縦横に架けて柱を省略して変化に富んだ構造を見ることができる。
開山堂は、寺蔵文書に寛永十五~十六年(一六三八~三九)に再興の記述があり、様式手法からもこの時の建立と考えられている。桁行三間、梁間三間で、小規模な仏堂ながら、内部を内・外陣に建具で区分した、三間堂としては類例の少ない平面の仏堂である。江戸時代初期を代表する優れた三間仏堂といえる。
表門は、明智光秀が築城した坂本城の城門を移築したとの寺伝があったが、平成二十一~二十三年に行われた解体修理により、櫓門(やぐらもん)の階部分を取り除き一階部分の上に本瓦葺(ほんがわらぶき)の屋根を載せたと考えられること、使われた工具の加工痕が坂本城築城の年代と一致すること、聖衆来迎寺と明智光秀との深い繋がりがあったことから、坂本城の城門を移築したことがほぼ明らかとなった。県内では最古の城門の遺構である。(石川政実)









