納税品用の荷札「付札」木簡出土
◇高島
公益財団法人県文化財保護協会はこのほど、塩津港遺跡の発掘調査で『皇后宮御封米(こうごうぐう みふうまい)/代十石(だいじゅっこく)〈栗毛母馬〉』と書かれた付札木簡(つけふだもっかん)が出土したと発表した。
県文化財保護協会では県教委と国土交通省滋賀国道事務所からの依頼で、一般国道八号塩津バイパス建設に伴う塩津港遺跡の発掘調査を昨年五月から十月にかけて実施し、同年七月には平安時代後期に港の施設拡張のため行われたと考えられる埋立て造成工事の跡を発見し発表した。
そして同調査で出土した数点の木簡の整理調査を進めたところ、縦七十八ミリ、横二十四ミリ、幅四ミリの『皇后宮御封米/代十石〈栗毛母馬〉』と書かれている付札木簡が見つかった。平安時代後期の税の徴収のありかたや、物流の様子など当時の社会を知る手がかりとなる貴重な資料である。
塩津港は、琵琶湖の最北端にある港で、古代以来、北陸方面からの陸路と琵琶湖の水運が結節する港として重要な役割を果たしてきた。北陸からの物資は、海路を使い敦賀で上陸し敦賀からの峠道である塩津街道を通って塩津に至り、ここから船に積まれて湖上を南下して、大津を経て都へと運ばれていた。
平安時代の『延喜式』巻二六主税寮上の「諸国運漕雑物功賃」には、若狭をのぞく北陸六国(越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡)の税物を敦賀で陸揚げして塩津に運ぶ駄賃と、塩津から大津への船賃が定められ、治暦元年(一〇六五年)九月の太政官符写(壬生家文書)には、京への調物に塩津で通行料を取ることを禁じる記載があるなど、都と地方を結ぶ要衝(ようしょう)の港として公的な役割を担っていたことがうかがえる。なお、同遺跡の神杜跡からは水運業者が奉納したと考えられる大型起請札が大量に出土している。
県文化財保護協会では「今回の木簡の出土は、塩津港遺跡で見つかった埋立造成の遺構が物流に関わる港湾施設の一部であることを改めて示すとともに、平安時代後期の税物の具体的な動きを見ることができる」と説明している。







