中島伸男さん講演で問い掛ける
◇東近江・愛東
東近江市立愛東公民館で催された平和祈念展開催中の先月末、郷土史の研究で知られる野々宮神社宮司の中島伸男さん(75)が「戦争中の滋賀県と私たちの暮らし」について講演を行った。
集まった百五十人を前に、平和祈念館の整備に向け資料を集めた中島さんは「滋賀県も大変だったことを知ってほしい」、遺族が涙ながらに話されたことを思うと「愛東地区の皆さんのお陰で実現に漕ぎ着けられたことはうれしい」と喜んだ。
明治二十七年に始まった日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争に続き、昭和十六年からの大平洋戦争で、滋賀県の戦争犠牲者は三万二千九百九十二人。このうち大平洋戦争での犠牲者は二万九千二百十二人と、いかに「大平洋戦争が凄まじかったか」と振り返った。
本土決戦をうかがう県内の空襲(昭和二十年五月以降)で死者四十二人、負傷者八十人以上を数え、軍需工場のあった彦根や石山、能登川がB29の爆弾投下やグラマンから襲撃を受けた。
陸軍八日市飛行場周辺には毎日のように艦載機が飛来し、旧永源寺町石谷では「ラジオ体操から帰って来た学童二人が母親の目の前で亡くなっている」と戦争の悲惨さを語り、二度と繰り返してはならないと訴えた。
また、民間八日市飛行場の開設当時から陸軍飛行場への変遷をたどり、戦況を物語る掩躰壕(えんたいごう)や戦争当時の思い出の品などをスライドを使って説明していった。
暮らしの面では、召集と徴兵、金属類の供出、空襲の恐怖、食糧難と物資の不足が招いた配給制度、隣組制度による互助体制などについて解説し、食べる物もない苦しい生活体験を語った。
中でも、日本人は農耕民族だから、苦しい時はみんなでお互いを助け合う精神を常に持っていた。しかし、戦争で「日本の素晴らしさが崩れてしまい、大切にしなければならないものを失ってしまった」と嘆く。
このことから平和祈念館の役割について、事実を伝えることの大切さ、物が語る歴史の真実、一人ひとりが語り部になるだけでなく、もっと踏み込んだ「助けあい支えあう福祉のまちづくりが必要ではないかと」と、会場に問い掛けた。







