成瀬國晴さん、東近江へ学童疎開「そこまで来ていた、戦争が」
【東近江】 県平和祈念館(東近江市下中野町)は、戦争体験者の証言をまとめたDVD「戦争証言2024」を製作した。
2014年度から毎年製作しているもので、戦後80年を迎える今年は新たに6人に自らの戦争体験を語ってもらい、学校や地域へ貸し出している。同館ホームページやユーチューブ「滋賀県平和祈念館」チャンネルからも視聴できる。
証言者のうちイラストレーターの成瀬國晴さん(終戦時9歳)は、「集団疎開を描く 大阪ミナミから東近江へ」と題して、イラストを交えて語っている。
大阪の国民学校3年生だった成瀬さんは1944年(昭和19年)8月31日から、東近江市平松町の東方寺で集団疎開の生活を送った。そこでは、虫刺されや霜焼けに悩まされたり、食料が乏しくなるとカエルやイナゴを捕って食べたりした。
そして各地で空襲が激化する中、1945年(昭和20年)7月25日朝、朝ごはんをとっているとき、「ゴーンと言うた思たらドワーッ」と大きな音がし、先生から「こら、みな伏せぇ」と怒鳴られた。
そうしたら、わずか50メートルほど離れた畑に、飛行機のエンジンが「ブォーン」と火だるまになって落ちてきた。八日市陸軍飛行場を襲った米軍機を迎え撃つため、飛び立った日本機が体当たりしたのだ。
機体はバラバラになって落下し、村人にまじって見に行った。「ところがよく考えたら、そこまで来ていた戦争が。だって押立山の上に名古屋を空襲するB29の飛行機雲がものすごかった。雲霞(うんか)のごとき飛行機がゆき、『すごいな』『きれいやな』と思っていた。これがみな爆弾を落としに行っている認識がなかった」と、身近に迫っていた戦争を語っている。
このほかの映像は、▽「少年通信兵が経験した台湾」(廣喬さん)、▽「集団疎開と大阪空襲」(中原敏雄さん)、▽「仲間を見送った少年飛行兵」(野口豊さん)、▽「銃後の暮らし 食べる事とお父さん」(中澤光子さん)、▽「満州から中国へ 終わらない戦争」(玉木謙壽さん)。







