中島 伸男
古くから、都での出来事がさまざまな伝説となって隣接する近江に語り継がれてきた。惟喬親王伝説はその最たるものといえるし、平安時代末期の白拍子、妓王(ぎおう)・妓女(ぎにょ)の物語も著名な伝承の一つである。
女姉妹は、『平家物語』に登場する悲運のヒロインであり、彼女たちが近江国野洲郡中北村(現・滋賀県野洲市中北)の出身であるとの伝承は『広辞苑』にさえ記されているくらい有名になっている。
しかし、妓王伝説は近江のみならず神戸市・築島や和歌山県紀の川市、さらに遠く讃岐国(高松市)にも広がっている。
■「妓王」のあらすじ
まず、『平家物語』巻一「妓王」のあらすじを辿ってみよう。
妓王は容姿にすぐれた白拍子(しらびょうし)の名手として、京の町中に知れ渡っていた。白拍子とは、今様(いまよう)という当時の流行歌謡を歌い舞を舞う男装(水干に立烏帽子、白鞘巻を腰に差す)の遊女である。
妓王は平清盛の寵愛(ちょうあい)を独り占めにしていた。清盛は彼女の母「とじ」をも立派な屋敷に住まわせ、毎月、米百石・銭百貫を贈ったので、一家の豊かさ華やかさは例えようもなかった。そんなある日、清盛の住む西八条の御殿に仏御前(ほとけごぜん)と名乗る年若い白拍子が訪ねてきた。
彼女は、自分の舞を清盛にご覧に入れたいと申し出る。しかし、清盛は仏御前を門前払いにした。妓王は「そんなにすげなく追い返すのはかわいそうです。せめて出会ってみるくらいのことは」と清盛にとりなした。
妓王の頼みを聞き入れ、清盛は仏御前を呼び戻した。彼女の姿は、驚くほどの美しさ。今様を歌わせてみると、その声、節回し、ともに見事であった。続いて舞を舞うよう命じたが、舞い姿もまたまた見事。清盛はその場で、仏御前に心をすっかり移してしまった。そして、仏御前が辞退するのも聞かず、妓王を追い出し仏御前に御殿にとどまるよう命じた。
妓王は障子に歌一首をしたため、清盛の西八条殿(にしはちじようどの)を去った。
萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草
いづれか秋にあはではつべき
(いま盛んに芽吹ている草木も、枯れてゆく草木も同じもの。しょせん秋になったらみんな枯れ果ててしまうのです。私たちの運命とはそういうものです。)
■娑婆の栄華は夢の夢
1年が経った。妹の妓女とともに御殿を追い出された妓王に、清盛から「いちど仏御前の前で舞を舞い、彼女の退屈を慰めてやってくれ」というむごい命令が届いた。
「言いつけに背けば、都を追い出される。恥をこらえてでも出仕(しゅっし)しておくれ」という母・とじの、たっての頼み。妓王は泣く泣く妹・妓女とともに清盛の御殿を訪れた。
妓王は、下座に侍(はべ)らされ、今様歌を歌い、落ちる涙をぬぐいつつ舞いを舞う。
我が身のあまりの惨めさに世を儚(はかな)んだ妓王は、妹・妓女、母・とじとともに、京・嵯峨野の小さな柴の庵(いおり)に移り住み21歳で出家した。
春が過ぎ夏も終わり、秋風の吹くころとなる。3人が念仏をとなえる粗末な庵を、ある夜、訪ねてきたものがあった。不思議に思った妓王がよく見ると、それは黒髪を剃り落とし尼僧姿となった仏御前であった。
仏御前は「つくづく物を案ずるに娑婆(しゃば)の栄華は夢の夢」と悟り、彼女はみずからも念仏の輪に加わりたいと妓王たちの庵を訪ねてきたのであった。
それ以来4人はともに朝夕念仏を唱えつつ、「往生の素懐(そかい)」を遂げたという。







