中島 伸男
■「征露」を刻む石造物など
記念碑にかぎらず、「征露記念」として奉献されたものは、市内の他の神社にも見られる。
皇美麻神社(八日市町)には御本殿に向かい合って座る一対の狛犬がある。
狛犬の台座正面には「奉献」との文字が刻まれているが、裏に回ってみると左右両方の台座に「征露記念」の文字が深く刻まれている。向かって右の台座には明治参拾九年四月と彫られているので、野々宮神社「征露紀念」の碑と同じ年である。日露戦争から帰還後、この狛犬一対を献納された11名の人たちの氏名も台座裏に刻まれている。
山王神社(建部北町)本殿玉垣内に鎮座する一対の狛犬台座には、「明治四十年三月・在郷軍人建之」として13名の氏名が彫り込まれている。明治40年・在郷軍人といえば日露戦争から帰還した人たちのことである。
三所神社(市辺町)の参道両側に石灯籠が並んでいるが、その左奥に高さ3メートルを超えるひときわ目につく石灯籠がある。正面に深く「紀念燈」と彫られ、裏に回ると「明治三十七八年戦役記念」の文字が読み取れる。
石造物ではないが、太郎坊宮阿賀神社(小脇町)絵馬殿には、旅順要塞の攻防戦後に乃木希典将軍とロシア軍将軍ステッセルの会見を描いた大きな絵馬が奉納されている。三所神社の紀念塔と太郎坊阿賀神社の絵馬については、『八日市市史』第四巻第二章に写真とともに紹介されている。
愛宕神社(能登川町)正面鳥居には、右の石柱の裏に「日露戦役」と2行で刻まれ。その下に「凱旋紀念」の文字が、そして左の柱には「明治四十一年四月建之」と刻んでいる。献納者氏名は彫られていないが、「凱旋祈念」とあることから、やはり帰還兵士によって献納されたものであることが分かる。(愛宕神社鳥居の件は市役所・嶋田直人さんに教えて頂いた。)
■戦死者を悼む建柱
岩戸山(十三佛山とも)の登山参道口に建つ「新四国八十八箇所霊場」石柱側面には「征露之役起幾多士斃」などと刻まれた漢詩を読み取ることができる。
碑の高さは2メートル余。明治37年8月に建柱されたものである。
「近江国岩戸山十三佛由緒」(昭和56年・岩戸山十三佛世話方により発行)には、「日露戦争終局で、戦死者の為、西国四国霊場の御佛を篤志奉納され参道両側に安置せらる」との記載がある。
■軍歌「戦友」
なお、独特の哀愁を帯びた軍歌「ここはお国の何百里、離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて、戦友(とも)は野末の石の下」(戦友・十五番まである)と与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が作られたのは日露戦争時である。






