輦(れん=乗り物)で移動される親王
『滋賀県神社誌』は、滋賀県神社庁設立四十周年を記念し、昭和六十二年に刊行された。県内に鎮座する一四三九社(当時)の御祭神・神紋・例祭日・由緒などが記されている。同神社誌に記された由緒をピックアップして紹介する。
【歳苗神社】東近江市山上町
貞観年中(八五九~八七七)、惟喬親王は「帝位に望みなし」と出家され、愛智の深山に入ろうと御巡輦(ごじゅんれん=各地を巡られること)された。その節、当地に休憩所を設け、川辺に斎殿(いわいどの=神をお祀りする建物)を置き五穀豊穣を祈願され、天児屋根命(あめのこやねのみこと)をはじめ三柱の神をお祀りされた。土地の人々がこれを産土(うぶすな)の神としたことが歳苗神社の始めとしている。
【八幡神社】東近江市政所町
境内の塚にある宝篋印塔は親王に随従した小椋実秀卿の墓とつたえる(角川地名大辞典)。神社誌には「ご縁故の深い惟喬親王は、深く当社を祈願せられ宮社を建立された」と伝えている。
「政所」は、親王や公卿の所領荘園の事務を司っていたところをいう(広辞苑)。政所家文書(京都市左京区大原上野町・久保家所蔵)には、近江・小椋谷の政所地名をつぎのように説明している。「われわれの先祖が惟喬親王に供奉し政所として勤めていたので、近江に政所という地名が生まれた。しかし、その後、親王とともに京都大原に遷られたため、近江には地名のみが残り政所姓の人はいない(関係部分を意訳)。
近江小椋谷発信の強力な親王伝承の整合性を計る苦心が伺える。
【八幡社】東近江市上中野町
貞観年中、惟喬親王が君ヶ畑へ御通輦のみぎり、この地に手遊び(「手なぐさみ」の意味か)に松を植えられた。里人はこれを「手遊びの霊松」として崇め、諸病平癒に霊験ありと崇めてきた。しかし、天明六年(一七八六)に枯死したため、これを敬慕し八幡宮を勧請した。
【日枝神社】東近江市黄和田町
惟喬親王、当地深山に閉居の際、拝領地となり原野の開拓をはかられ、ついに田地数町を拓く事が出来た。親王はこの地の産土神として日吉山王社の御分霊を勧請、社殿を創建された。
【春日神社】東近江市杠葉尾町
元八幡宮を祀ったが、貞観十七年、惟喬親王君ヶ畑におわせし時、此の宮に参詣あり、その令旨(りょうじ=親王の命令を伝える文書)により春日社と称えることになった。
なお、親王が人々の担ぐ乗り物で移動(御巡輦、御通輦)しておられたと伝えているのは、文徳天皇第一皇子としての威厳を示したものであろう。
中島 伸男
(野々宮神社宮司)






