東近江市長 小椋 正清
3回目の3.11を迎えました。18,000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から3年が過ぎたのです。あの日の悲惨な光景を、まるで特撮映画のワンシーンのような感覚でテレビの中継映像を見ていたことを思い出します。当時、私は滋賀県防災危機管理監の職にあり、県内の被害状況等について情報収集を指示し、県としての対応について協議を始めました。
2日後の日曜日には、兵庫県庁で関西広域連合構成府県の知事による会合が開かれました。私も知事に同行し、協議の結果、滋賀県は京都府とともに福島県の支援を担当することになりました。そして、いわゆるカウンターパート方式で、きめ細かな支援をすることとなったのです。
直ちに滋賀県庁に支援本部を設置し、支援を開始しました。大型バスで30回にわたり県職員を派遣し、2,000人規模の避難所となった福島県立あづま総合運動公園で避難者のケアに当たったのをはじめ、技術職員による福島県の業務支援など多岐にわたるサポートを遂行しました。福島支援から戻った職員の目に涙が光っていたことが今も忘れられません。しかしながら、何をどこまで支援しても当事者の気持ちを本当に理解することは難しいものです。
東近江市からも東北の被災地へ70人に上る職員派遣を行ってきました。一方、滋賀県内で、300人近くの方が東北からの避難生活をされ、もちろん東近江市でも過ごされています。その中には、故郷へ戻らず、滋賀での永住を決められた方もおられます。
毎年毎年この日はやってきます。悲しみや苦しみと一緒に。肉親や友達を亡くした人の悲しみはいかばかりでしょうか。あの日の前に戻れるものなら戻りたい、時計の針を戻したい、そんな思いでしょう。
これからも地震等の自然災害をなくすことはできません。しかし、自然災害による被害を少しでも減らすことはできます。3.11が残した様々な教訓は絶対に忘れてはならないのです。






