滋賀学園高校野球部キャプテン瀧田拓哉
◇東近江
昨年夏の「甲子園」が沸いた。旧八日市市から五十六年ぶりに、第九十一回全国高校野球選手権大会へ出場を果たした滋賀学園高校野球部。地元から駆け付けた応援団の声援をバックに、滋賀学ナインは大健闘した。主将を務めていたのが東近江市ひばり丘町の瀧田拓哉捕手だ。少年時代の中野チビッ子クラブ、オーミボーイズ、滋賀学園での野球生活を振り返り、夢を実現した道のりを語りながら、瀧田君は「野球を続け、目標に向かって努力してほしい」と、地元の野球少年を励ます。敬称略。
聞き手・村田洵一
仲間と共に勝ち取った
村田 長年の悲願を達成してくれましたね。甲子園の土を初めて踏んだ時の感想は。
瀧田 必ず甲子園に行くとの目標を持って野球をしてきました。やってきたことは間違いなかった。仲間と共に甲子園のグラウンドに足を一歩踏み入れた時は、今までやってきたことを出し切るだけと胸に言い聞かせ、身も心も引き締まった。
練習でもグラウンドに立ったが、試合当日、お客さんが入った中ではまったく違った。緑一色に染まったアルプススタンドを見てビックリした。東近江市はじめ県内から、あれだけ大勢の人に応援に駆け付けてもらって、モチベーションは上がった。それよりも、夢に描いていたものが目の前にある、仲間と共に夢を勝ち取った現実に感激を覚えたことは、一生忘れない。
小・中学校の時
村田 小学、中学の時はどうでしたか、野球に関して。
瀧田 小学校の時は、中野チビッ子クラブに入り、初めて野球をした。越智弘文監督に楽しさを教えてもらい、一生懸命練習したことを覚えている。親にも支えられ、親子で楽しんだことがよかった。親に褒められることも楽しみの一つだった。
中学に進み、硬式野球のオーミボーイズに入団したが、レベルが高く、ライバルも多くて、やっていけるか不安だった。普通に練習していては置いていかれると、追い付け、追い越せの毎日だった。自分に勝ち、ライバルにも勝つ、そんな競争力が自然と養われたような気がします。
二年ジュニア滋賀大会の最終回、2アウトから二塁打で出た走者に、監督が足の早い代走を送り、試合を僕に託されたことがある。返すしかないとバッターボックスに入ったが、2ストライクまで追い込まれ、どうしょうと思った。ライト線へ決勝タイムリーが打てて、涙が出るほどうれしかった。練習してきたことが実ったと、自信につながった、あの一打を今も思い出す。
先輩にあこがれる
村田 強豪校がある中で、滋賀学を選んだのは。キャップテンとしての苦労もあったでしょう。
瀧田 家も近いし、甲子園も近い。中三の時、滋賀学が夏の県大会決勝(相手・八幡商業)で準優勝した時のテレビを見て、こういう先輩になりたいと思った。山口達也監督からの誘いもあったし。
人数も多くて、ボーイズと同じで、やっていけるのか不安でいっぱいでした。学校にも慣れ、毎日の生活リズムが分かってきた時、一つ上の先輩に「練習はしっかりしとけ、努力しかない」と言われ、憧れと同時に身近な目標ができたことが大きかった。
一番でかい声を出して自分をアピールしていかないと、存在感のある選手になれないと思ったので、なんでも先頭を切ってやることを心掛けていた。練習もそうだったし、それがキャプテンにつながったと思う。
努力と感謝
村田 野球をしていて学んだことは何ですか。
瀧田 二つある。努力は必ず報われることです。練習をさぼったり、手を抜いたりしてたら、結果は絶対についてこない。練習する姿を見て、神様が甲子園というご褒美をくれたと思う。野球の神様は必ずいると信じる。野球が人間としての僕を磨いてくれました。
もう一つは、感謝の気持ちを常に持つことです。苦しい時に指導者や仲間に助けてもらった。一番はお父さん、お母さんです。常に感謝の気持ちを持っていると、相手の気持ちも分かり、互いの信頼関係が生まれるのではないでしょうか。
村田 今後の進路は決まりましたか。
瀧田 関東の國學院大學に進み、野球を続けます。これまでお世話になった方へ、恩返しの意味でもプロの世界に挑戦してみたい。今のところ、僕には野球以外考えられない。
野球少年へ一言
村田 最後に、野球少年へのアドバイスは。
瀧田 目標を決めて、それに向かって一生懸命練習するだけです。監督、コーチの言う事をよく聞いて努力することが、もっと野球を楽しくするはずです。回りから褒められるよう心掛けて下さい。
村田 滋賀学野球部も、地元高校の仲間入りができたようです。瀧田君のお陰です。瀧田効果でしょう。頑張って下さい。






