八日市市長時代回顧し 望まれる地方自治語る
東近江市長選挙が八日に告示、十五日に投開票される。そこで滋賀報知新聞社は、郷土出身の政治家、元大蔵大臣・武村正義氏に八日市市長時代を振り返りながら、現市政の課題などを語ってもらった。
(聞き手・石川政実)
―東近江市長選挙が近づいてきました。武村さんの政治の出発点は、八日市市長ですね。もう四十年ほど昔になりますか。
今日はその頃の思い出と、地方自治の将来についてお話をうかがいたいと思います。
武村三十五歳で私は東京から八日市へ帰ってきました。当時の市長は、西沢久兵衛さんでした。七十代の西沢さんに対抗して、市長選に出ようと思っていたのですから、われながらやんちゃだった。
―若いですね。それに当時は武村さんも無名の青年でしょう。八日市に受け入れられましたか。
武村容易ではありませんでした。当時の私は、看板も地盤もお金もありませんでした。兄の家に泊めてもらい、さびた自転車と麦わら帽子を借りて一軒一軒歩きました。手がかりは同級生と親類だけでした。
―何が一番苦しかったですか。
武村デマと悪口ですね。
「武村は、東京で悪いことをして、役所を首になって帰ってきよったんや」
「将来は国会を狙っとる。そのために市長を利用しようと思っとる。そんな野心家に市政はまかせられん」
一つは東京からたくさんの知り合いに来ていただいてデマを打ち消してもらいました。もう一つは反論しました。
「政治家には野心が必要です。野心があるから人一倍仕事をします。立派に市長が務まったら将来、国会に出して下さい」
―一八〇〇票の差で当選されましたね。市長としては何をされましたか。
武村まず「何でもきく課」をつくって市民との対話に努めました。それに市の「長期構想」を発表しました。
すぐに手をつけたのが、八日市市役所のあるニュータウンづくりです。「自転車都市宣言」や「工場の二〇%緑化協定」などもやりました。蛇砂川の大改修や、インター前を延長して愛知川に橋をかける計画や環状線などはやっと最近になって実現しました。医療の無料化や全市の土地改良も始めました。
―合併して東近江市になりましたが、これからの課題は何ですか。
武村新しい市を文字通り一つにまとめることです。市民の心が一つになることが大切ですね。そのためには、中心から遠い周辺部に温かい配慮が必要です。
それと福祉や医療や教育も大切です。国立病院は、市が買い取って、東近江市の拠点病院にできませんかね。
―地方はこれからますます厳しい時代を迎えますね。先輩として一言どうぞ。
武村全国的に地方自治は、冬の季節を迎えます。だからこそ、本物かどうかが試される時代だと思います。
市長一人がいくらはりきっても限度があります。市役所のスタッフをやる気にさせることが大切であり、ひいては市民が、市政にどんどん参加してくれる道を開くことだと思います。
みんなをその気にさせるリーダーが必要ですね。






