第1回 託された南極行き、その始まり
「こんな景色は、世界中を探しても、きっとここにしか存在しないんじゃないか」――。
2026年1月6日19時4分南極大陸最高峰ビンソン・マシフ山頂。そこからの景色はこれまで知っていた「山の風景」とは全く別物でした。広がっていたのは雲海ではなく、どこまでも続く氷の大地。大気のうねりのように見えるのは動くことがない大陸。その氷の大地を突き破るように、いくつもの山が顔を出している。音も、色も、匂いも削ぎ落された世界で、ただ地球の姿がむきだしになった世界。
南極という未知が多く、本や写真、映像の中でしか知らない風景、世界を自分の目で見て、肌で感じてみたい。そしてその大陸の最高峰ビンソン・マシフに登ってみたい。私にとって「いつか挑みたい」と願い続けてきた夢でした。
しかし南極は、思いだけで行ける場所ではなく、覚悟、準備、そして費用。その全てがそろわなければなりません。その夢は、心の奥にしまい込もうかとも考えていました。
ところが、思いもよらないご縁によって、この挑戦の機会をいただきました。
本来であれば、ある女性が2025年12月末からにビンソン・マシフ登山へ出発される予定でした。しかし彼女は、出発を約1カ月後に控えた2025年11月、不慮の事故により志半ばで帰らぬ人となりました。
その後、私の南極に対する思いを知ってくれていた関係者の方から「彼女の志をつないで南極、ビンソン・マシフに登らないか」とお声がけをいただきました。
とはいえ、これは決して簡単な話ではありませんでした。海外エージェントからの許可を取得しなければならない、そして何より、ご遺族にとって特別な想いを伴うご提案でした。それらをサポートしていただいた方の尽力と、慎重に話し合いを重ねたうえで、ご遺族からの承諾をいただき、私の南極行きが正式に決定しました。
お話をいただいてからわずか5日での決断となり、私にとってもこれまでにない急展開でした。彼女の志を継ぐ立場として責任の重さを感じつつ、行くと決めたからには全力で挑む覚悟はできたものの、準備不足は否めませんでした。
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この連載では、南極に至るまでの経緯、白い大陸での体験、ビンソン・マシフ登山、そして帰国後に感じたことを、12回ほどにわたって綴っていきたいと考えています。
これは、山の記録であると同時に、あるご縁から始まり、それを自分の登山、そして次へとつなげていくまでの記録でもあります。
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佐々木 司(ささき つかさ)
1975年10月6日生
大阪府出身。沖縄空手道隆誠会師範。2012年にアウトドアスポーツイベントSEA TO SUMMITに出場したのを機に登山を始める。その後、滋賀県東近江市に移住し、17年に(一社)鈴鹿10座エコツアーガイドクラブに所属。現在は「東近江市布引の森」に勤務する傍ら、同市を拠点に「outdoor stationまほろば」を運営し、アウトドア活動などの普及に努める。
■19年ヒマラヤ・ヤラピーク(5520m)登頂
■22年ヒマラヤ・アイランドピーク(6180m)登頂
■24年ヒマラヤ・マナスル(8163m)登頂
■26年南極大陸最高峰ビンソンマシフ(4892m)登頂






