県政NOW 滋賀県遺族会フィリピン方面戦跡慰霊巡拝
2月3日から8日まで、滋賀県遺族会の海外戦跡慰霊巡拝に同行し、大東亜戦争での激戦地フィリピンの戦跡を訪ね、セブ島やレイテ島、ルソン島で散華された滋賀県の戦没者約9000名の慰霊を行ってまいりました。
その行程は、3日夜遅くにセブ島に入り、4日はセブ海軍部隊遺族戦友と陸軍落下傘三四会他有志一同が建立されたセブ観音慰霊碑前で慰霊祭の後、全国セブ会建立の南方第14陸軍病院跡慰霊碑参拝。その後レイテ島オルモックに移動し、オルモック海岸で慰霊祭。オルモック湾には駆逐艦卯月を初め、多数の海防艦、輸送船が沈んでおり、第14方面軍司令官山下大将がレイテ島に送ったルソン島を守る兵力が、2ヶ月に及ぶ涙と血の戦闘を繰り広げ、約6万人の将兵が玉砕されたと聞きます。5日はまずオルモック市内で立石大隊が全滅した場所で、砲撃の跡が当時のまま残されている市街戦陣地跡を視察。その後タクロバンに移動する途中のリモン峠でリモン工兵隊慰霊碑と第1師団戦没者慰霊碑の参拝。ここはレイテ戦で最も激戦が繰り広げられた場所で、雌雄が決した後も各戦線から撤退した約1万名の将兵が自活し、武器弾薬が乏しい中、飢えや病気、暑さや豪雨に苦しみながら終戦までゲリラ兵と戦い大勢が亡くなられたとされています。その後レイテ島防衛部隊第16師団が司令部を置いたダガミ警察署裏英霊碑前で慰霊祭。続いてブラウエン北飛行場跡の平和の塔前で慰霊祭。6日はレイテ島に上陸した米軍を水際作戦で上陸を阻止し、多くの将兵が亡くなったドラグの海岸で、雨の中でレイテ島全戦没者の慰霊祭が行われ、その後タクロバンからマニラに移動。7日はマニラから片道4時間かけてカリラヤにある日本人戦没者慰霊園で平和式典・合同慰霊祭という相当強行なスケジュールで、遺族の方々もたいそう疲れられたと思いますが、全員無事8日に帰国しました。
戦没者の尊い犠牲のおかげで日本は国際社会の中で信頼され、確固たる地位を築けており、平和と繁栄の中に我々は生きる事ができており、戦没者の皆様への感謝と戦争の惨禍を後世に伝え継ぎ、日本の平和を守る事が戦没者の方々への我々の責務と思います。
今年は、戦後80年の節目の年を迎えました。遺族の参加者の平均年齢も80歳を超えており、今後どのように遺族会の慰霊巡拝を継続するのかを早急に考える必要があります。






