『モーツァルト 父の夢、子の夢』(9)パリへの嫌悪
「パリへ行くのだ!それも直ちに」と、恋の病を父親に一喝されたモーツァルトだが、初恋の人アロイジアにすっかり心を奪われた恋煩いは、そう簡単に治せるものではない。重い足取りでパリに到着したのは、1778年3月24日であった。「僕らの旅は9日半でした。僕らは耐えられないと思いました。こんなにも退屈だったのは、生まれてこのかた一度もありません。マンハイムをあとにして、そしてたくさんの愛しい良き友たちと別れて旅立って、そのあと9日半、この良き友たちがいないだけでなく、僕たちがつき合ったり話をしたりできる人が人っ子ひとりいない状況で暮らさなければならなくなったら、それがどんなだか、父さんなら容易に想像できるでしょう」とマンハイムへの未練をしつこく父親に報告したが、モーツァルトにはパリに着いた高揚感はまったくなかった。それでも仕方なく、父親に言われた通りパリでお世話になるグリム男爵のもとに行き、数日後、その紹介状をもってド・シャポ公爵夫人のところを訪ねた。あいにく夫人の家では「デッサン会」が開かれており、寒い部屋で待たされた挙句、調子はずれのピアノを演奏してもデッサンに夢中なご夫人と殿方は、まったくモーツァルトの演奏に振り向きもしない。「こんなひどいありさまで、僕は堪忍袋が切れてしまって、つまりフィッシャーの変奏曲を弾き始めていたのだけれど、半分弾いたところで立ち上がったんだ。すると大絶賛です。しかし僕は言うべきことは言ったんだ。つまり、こんなクラヴィーアでは僕の面目は丸潰れで、もっと良いクラヴィーアがある別な日に、改めていただいた方がとってもありがたいって」この屈辱的な経験は、パリという町への嫌悪を大いに募らせることになった。「父さんは僕に、親交を築き、そして旧交を温めるために、いろいろと訪問するのが賢明だろうと手紙に書いてくれています。でも、そんなことはできません。どこへ行くのだって徒歩では遠すぎ、いや泥だらけ過ぎて、というのは、パリは言葉で表せないほど汚いのです。また、馬車で行くとなったら、1日にあっという間に4、5ルーブル支払わせていただく羽目になって、そしてムダになってしまうのです。だって連中ときたら、ともかくお愛想を言って、それで終わりなのですから」パリ嫌いがフランス人嫌いに結びつき、腹に据えかねたモーツァルトは、「そもそもパリは様変わりしてしまいました。フランス人は15年前のようには、礼儀正しくなくなってもう久しくて、いまや無作法と言っていいくらいで、傲慢なことといったら嫌悪すべきほどです」と、こき下ろした。
モーツァルト・バー「キール」
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