『モーツァルト 父の夢、子の夢』(4)ミュンヘンで選帝侯から受けたすげない返事
母親とモーツァルトは、1777年9月24日の夕刻にはミュンヘンに到着した。解説を少し読んでみよう。「ザルツブルクからそれほど離れていないので、出発の翌日にはバイエルン選帝侯マクシミリアン三世が治める都に足を踏み入れることができたわけです。もちろん、そのねらいはその選帝侯に直接交渉して、宮廷の安定した地位、できれば宮廷作曲家の身分保障を受けることです。実は、ヴォルフガングは1774年の夏に、マクシミリアン三世からオペラの注文を受けたことがあり、当地の劇場監督とも懇意であることは、今回のミュンヘン訪問の強みでした。しかし、旧知の仲とはいえ、一介の楽師にすぎないヴォルフガングが、選帝侯にじきじきにお目通しを求めることはできないわけです。そこでまず、3年前当地でのオペラ上演の際お世話になった宮廷の劇場監督であるゼーアウ伯爵を訪問することにしました。伯爵は、劇場に絶大な権限を持っており、歌手たちの雇用、解雇にもその権能を発揮していたからです。そして早くも2日後の26日、久々に伯爵と面会をすることがかなったヴォルフガングは、ゼーアウ伯爵から『選帝侯に拝謁を求めればよい』との忠告をもらい、仮にその機会が得られないならば、書面で打診するようアドバイスされました」
そこでモーツァルトは選帝侯に拝謁を求めるため、30日に宮廷に出向いたが、あいにく一行が「狩り」に行く前のことで、通路に姿をあらわした選帝侯に彼は思い切って声をかけた。「選帝侯が僕のおそばにお越しになったとき、僕はこんな風に言ったんだ。『選帝侯閣下、うやうやしく伏して職をお願いすることを、どうかご容赦ください』『そうそう、ザルツブルクをすっかり捨てて、であったかな?』『すっかり捨てて、であります』『そうか、いったいどうした理由なのかな。お前たちは仲たがいでもしたのかな?』『いえいえ、断じてそのようなことではありません、選帝侯閣下』」モーツァルトは、なおも事情を説明し、執拗に選帝侯に懇願をしたが、選帝侯は手短に、「空きがひとつもないのだ」と願いをはねつけた。父レオポルトは、事の成り行きを前もって予測していたのか、10月4日の返信の中で、「ミュンヘンについて、父さんは期待が持てるようなことなど、まったく思い描いてはいなかった。空席がなければ誰一人として雇い入れられない、という縛りが選帝侯にはあるのだ」と息子を諭した。はやくもミュンヘンでの就職は失敗に終わったのである。
モーツァルト・バー「キール」
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