「ステージパパ、レオポルトの本音」 死を眼の前にして(44)
――1787年5月10日に、娘さんに最後の手紙を書かれていますが、亡くなる18日前ですね。どんな内容の手紙だったのですか。
レオポルト あの日は、少し体調も戻り、手紙を書く気力が出てきたので、数行ずつ書いては、休憩し、また書き足すような感じで、何とか書き終えることができました。私は、自分の体調を伝え、ジークムント・ハフナーさん(モーツァルトはハフナー家のために『ハフナーセレナード』K250を書いた)が、いよいよ遺言状を書かれ、旅立ちの覚悟を決められたことに、感動を覚えたので、そのことを書きました。何しろ息子のハフナーさんは、まだ31歳で、ヴォルフガングと同い年、元市長の息子だから、多くのお金をお持ちだが、そのうちのいくばくかを、自宅の前で、貧しい人たちに分配したとのこと、その慈善家としての行いは、後世の人の模範になるものと思います。また、かつて娘の結婚相手の候補であったディッポルトさんが、私の病床を毎日のよう訪ねてくれ、私が預かっている娘の息子・レオポルトの遊び相手にもなってくれたことは、人の心の優しさが、痛み入るように分かり、本当に私の心を動かしました。血の繋がっている息子が何もしてくれない分、よけいにそんな思いになります。
――息子さんの引っ越しも、お父さんの耳に入っていたようですね。
レオポルト ええ、事実だけを伝えてきましたが、その手紙は、どこかへ行ってしまい、行方は分かりません。でも大方の想像はつきます。金回りが苦しくなってきたに違いありません。それは、私が予想した通りの展開です。いっときは、いいこともあるでしょう。でも、長い目で見ると、やはり、宮廷に雇用されないと、聴衆が離れて行った時には、どうしようもありません。まあ、私から言わせれば、自業自得なんですから、借金が山のようにたまったって、私は助けてやりませんよ。それに、もう私の出番では、ありません。医者は、肺と脾臓が、私の命を奪うと予測しています。
私も、いよいよかと思うと、これまでの人生が、走馬灯のように思い返されます。長いようで短かった人生、妻と過ごした初々しい新婚生活、子供の養育、ヴォルフガングの教育と思い出深い旅の数々、妻の死。息子のザルツブルクからの逃走。ナンネルの結婚、そして私のわびしい一人住まい。遠からず来る私の死。つくづく、人生って、切ないなあ、と思います。願わくば、安らかな死が、私に訪れますように。
モーツァルト・バー「キール」
〒520-0047 大津市浜大津2丁目1-17一番街ビル






