県政NOW 飛燕のエンジン~戦後80年を前に、時を超えて現れた戦争遺物~
8月の酷暑もようやく陰りが見えて、朝夕過ごしやすくなりました。
8月26日、滋賀県立体育館で平和祈念滋賀県戦没者慰霊式典に引き続き、戦争遺留品返還式が行われました。
戦後78年が過ぎて寄せ書きされた日章旗がようやく遺族の下へ返還されたことで、遺族は「今やっとこれで終戦を迎えられた気がする」と語られています。
同じように、78年の時を超えて現れた戦争遺物があります。
大東亜戦争直前、世界の航空機産業の歴史に名を刻む2人の航空機設計者が誕生しました。1人は零戦や雷電、烈風など日本海軍の傑作機を手掛けた三菱航空機(現三菱重工)の堀越二郎。もう一人は、飛燕や屠龍、九九式双発軽爆撃機などの日本陸軍機を設計した川崎航空機(現川崎重工)の土井武夫です。
その土井武夫が設計した日本陸軍の戦闘機「飛燕」のエンジンが五個荘の近江商人蔵屋敷跡から見つかりました。
飛燕は、当時の日本で唯一の量産液冷戦闘機であり、ドイツダイムラーベンツ社の液冷航空エンジンDB 601をライセンス生産した「ハ40」で、量産型の完成は1941年7月。これを搭載した飛燕は1942年12月に完成し、試作機は当時の戦闘機の最高速度である時速590キロを記録しており、2千875機ほどが生産されています。
見つかったエンジンは昭和18年(1943年)6月の刻印があり、量産エンジンの1台と見られ、現存する物は世界でも数台とのことです。
なぜ五個荘で埋められていたのか。これは、既に滋賀報知新聞や京都新聞、読売新聞で報道されていますが、八日市に陸軍の飛行場があり飛燕が配備されていたことや戦争末期に本土決戦に備え軍が武器を隠したことを裏付ける貴重な戦争遺物であり、また、戦時中世界最速に挑んだ戦闘機設計者土井武夫の遺伝子が、戦後世界最速のスーパーバイク「Z1」に受け継がれていることなど、技術立国日本の歴史を物語る文化財と言えます。
2月の発見以来、東近江戦争遺跡の会が譲り受け、東近江青年会議所の協力のもと、近江酒造(株)様が保管して頂いておりましたが、このたび平和祈念館に保管・展示してもらう事が決まり、保存処理を行って一般公開される予定ですので、期待してお待ちください。
戦後80年を前に、自分の存在を訴えてきた戦争遺物を理解ある方々のおかげで未来に残すことができる事に感謝いたします。






